人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

「ありがとう」の哲学–感謝と奇跡

2021/05/13
 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
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どうもたかはしさとしです。すっかり秋ですねー。あの暑かった時期がすぎさって本当に気持ちの良い秋がやってきましたね。あなたは秋が好きですか。ぼくは大好きです。とても過ごしやすいし、虫の美しい音色も聞こえる。食欲が推進され、なんでもおいしく感じられる。実りの収穫の季節。いいことづくめです。でも、すぐに寒くなって冬が来そうですねえ。

感謝の気持ち

一日一日、無事健康に過ごせている。この事実自体が本当にありがたいものですよね。ぼくは本当にこのことを実感しています。感謝できる環境にあるだけでとても素晴らしいものなんです。

心の豊かさは、日常のありふれた出来事に感謝できるか否かと密接な関係がある、とぼくは思います。毎日おいしいごはんが食べられているとしても、こんなもの当たり前だ、感謝すべきものなんてないもない、と考える人が一方にはいるでしょう。でもおいしいごはんが食べられない環境にいないことに感謝して、本当に今ここにあるということに感謝できるならば、それだけで心は足ることを知っていて、落ち着いています。

冒頭にかかげた写真をみてみても、花なんてそこらへんに咲いている、と思うか、こんなきれいな花がここに咲いているなんて本当にうれしい、と感じるかで、その人が人生をどのようにとらえて生きているか、なんとなくわかりそうですよね。

ありがたいから、感謝する

感謝の言葉「ありがとう」という言葉は、「ありがたい」という形容詞に由来する言葉です。ここでは「ありがたい」の意味などを少し深掘りして考えていくことにしましょう。

”ありがたい”を分解すると、「ある」+「がたい」ということです。この「ある」には二通りの漢字が考えられます。すなわち、「有る」と「在る」です。前者の有るは、「無い」のではなく「有る」ということ。

つまりありがたいに漢字をあてると、「有り難い」となります。無いのではなく有ること自体が難しい、という意味です。この宇宙、地球、世界、社会、無機物、生物、動物、人間、それぞれ無くてもおかしくないのに、有ること自体がありがたい。ただ有ることだけが奇跡なので、その奇跡に畏敬の念を感じるから感謝できる、と考えるのがこちらの漢字の解釈です。

いっぽう、存在の在を使った「在り難い」という当て字を考えることもできます。これはつまり、存在が難しいということです。存在とは、あり方が難しいということです。Being、状態やあり方が難しいんです。人から感謝されるあり方がいるのが実に難しい。だから感謝されるあり方でいてくれて「ありがとう」と感謝する、という解釈ができます。

ぼくはどちらの解釈も素敵で、いい解釈だと思いますが、おそらく人間や自然のあり方が難しいという後者の解釈のほうが起源としてはただしいんじゃないかな、と思います。ただ有ることが奇跡だと考えるのは、生物学や天文学、有機化学などから考えて生命がとても希少な存在であることから考えたら合理的ではあります。でもぼくたち人間は、太古の人類誕生のときからそのことを知っていたわけではないです。

例えば「自分の息子が敵対する勢力に殺された族長」がいるとします。この族長が、敵対する勢力を追い詰め、全員を捕虜にしたとします。このとき、感情に沿って行動をすれば皆殺しにすることも可能です。むしろ人情からいったらそれが自然かもしれません。でも、族長が「怨みに怨みで報いても、何の解決にもならない」といって、捕虜たちを許して全員生かす決定をすれば、捕虜にされた人々にとっては族長はとても「在り難い」存在なのではないでしょうか。

このように考えると、「在り難い」の意味がはっきりする気もします。ぼくは「在り難い」派ですが、あなたは「有り難い」「在り難い」どちら派ですか?

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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