新倉俊一「異形の美もしくはファンタスマ」
『未来のなかの中世』所収
「中世とは、君、決して楽しい時代ではなかったよ」。
「中世人がひたすら神に帰依し、貧しいながら素朴で充実した安心立命の境地を生きていた」という見方は、幻想にすぎない。中世では、この世を支配する原理として、「二元論的な思考」へと導かれる人が少なくなかった。すなわち、善の源泉としての神の存在、大してすべての悪の源泉としての悪魔の存在を想定するのがそれである。
中世初期において、教会は罪と罰について、一定の罪に対してそれに見合う懲罰を記したリストを用いて裁いていた。ところが、アベラールは、「罪そのものではなく、罪を犯した人の意図を重視し、罪の悔悛については、外面にあらわれた行為ではなく、どれほど心からの悔悛がなされているか」を問題にした。この「悔悛の心理学」(ルゴフ)は、「絶望的におぞましい罪に堕ちた人々にとって、いかばかり心強い救済の希望」となりえたのだった。
以下アベラールとエロイーズとの愛の行方について延々と語られる。
アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡 (岩波文庫)
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詳しくは↑の本か、『未来のなかの中世』をお読みください。以下興味深かったところについて少し。
中世においては「反結婚思想」が知識人の通年であった。聖職者にとって、女とは、人間の躓きの原因として見られていた。平信徒の生殖行為も、「あくまでも結婚の秘蹟の枠内に封じ込め、結婚以外の性関係を一切認め」なかった。
エロイーズの望みは、結婚と言う制度に拘束されない、愛情による結びつきであったのだが、アベラールの薦めで結婚に至る。
「エロイーズは恋するにあたった、強い罪悪感を抱かなかった」ということ。
ファンタスマ(幻像、妄想)の「絶えざる再生産こそが、…時空をはるかに越えた中世を魅力あらしめ、われわれに中世に回帰させるのではありますまいか」と最後に筆者は述べている。
Comment
中世ヨーロッパの人々の宗教への思い入れは半端なかったんだろうなぁ~。宗教から多くの芸術が生まれ、それらが今でもなお現代人の心に息づき、躍動させてくれる事実に驚きます。
それにしてもわヴぇさんの本の読むスピード半端ないですね(^_^;)
『未来のなかの中世』所収の論文は、一編10~20ページのものなので、読むのはわりと苦労しない感じですね。連続で読みつつ書こうと思ったんですが、「愛」についての論文が2つも立て続けで、今回もうまくまとめられなかったので、次は中世の「死」についてのものに飛ぼうかと思ってます。