『死にいたる病』7 1-C-A-a-α(1-3-A-a-α)
α 無限性の絶望は有限性を欠くことである
「いかなる形態の絶望も、直接に[すなわち非弁証法的に]規定されることはできないで、ただ、その反対を反省することによってのみ規定されうるのである」。
「無限になったつもりでいる人間の生き方、あるいはただ無限でのみあろうと欲する人間の生き方はすべて、いや、人間の生き方が無限になったつもりでいるか、あるいはただ無限でのみあろうと欲する瞬間瞬間が、絶望なのである。…無限性の絶望は、想像的なもの、限界のないものである。」
「想像は一般に無限化作用の媒体である。…想像は無限化する反省である。…自己とは反省である。そして想像は反省であり、事故の再現であり、これは自己の可能性である。想像はあらゆる反省の可能性であり、そしてこの媒体の強さが、自己の強さの可能性なのである」。
「想像的なものとは、一般に、人間を無限のもののなかへ連れ出して、ただだんだんと自己自身から遠ざけるばかりで、そうして、人間が自己自身に帰ってくることを妨げるものである」。
感情・認識・意志が想像的になると、「ついには、自己全体が想像的となりかねなくなる」。そして自己自身を失うのである。
世間の人は、自己がなくなっても大騒ぎなどはしない。自己喪失は平静に行われる。
感情が想像的になると、「抽象的な」人類のような、抽象体の運命に、同情を寄せることになる。「人類の運命」や「人間愛」といった抽象的な事物に対して、同情するのである。
認識が想像的になると、認識は単なる知識へなってしまう。この場合、単なる知識の獲得に時間がとられ、自己は浪費されることとなる。
意志が想像的になると、抽象的にますますなり、それにつれてだんだん具体的でなくなっていく。
このように、自己自身が想像した夢や希望にばかり気が取られると、それは単なる空想・妄想の類のものとなり、自己はますます自己自身から離れたものとなってしまうのである。