人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

『ルネサンスと宗教改革』から「ルネサンスと宗教改革」(トレルチ)

 
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「ルネサンス」と「宗教改革」、これらはほぼ同時に現れ、双方とも国家から個人の自由を獲得する個人主義を推し進め、近代精神への道を用意したものである、と考えられている。ルネサンスと宗教改革は、いわば世俗的ルネサンスと宗教的ルネサンスというわけである。
  こういった考え方に「待った!」をかけるのが、トレルチです。そういういった考え方は妥当に見えるが、実際の中身を見たらかなり違うといわざるを得ないというのです。
  ニーチェはルネサンスと宗教改革について、反キリストの中でたしか次のように言ってたように思います。ルネサンスは中世の世界で閉じ込められていた生を、まさに解放し、躍動させる力を持ったすばらしいものである。対して、宗教改革はそのルネサンスの力を殺し、再びキリスト教的生の抑圧を導いた悪しきものだ。このように言っていたように思います*1。こういった見方からすれば、宗教改革とルネサンスは対立するもので、最終的には宗教改革的性格をより純化した啓蒙主義といったものが(ニーチェから見れば嘆くべきことなのかもしれませんが)勝利をおさめたと、ニーチェは考えていたといってもいいと思います。
  さて、そのような先例はあったわけですが、トレルチはどうなのでしょうか。簡単に見ていきましょう。彼は「ルネサンスの精神」と「宗教改革の精神」というものを考えています。それは、ヴェーバーのいう理念型(*2)に近いものなのかもしれません。「ルネサンスの精神」とは、《徹頭徹尾自己に依存する個人主義なのであって万人に共通する自主独立の自我というものを展開することであり、また地上の事物は天上からの投影であって無価値だとするような見方からの解放》と言っていいでしょう。噛み砕いて言うと、その個人主義は自分だけをみるもので、その自我を芸術や学問などの形で展開し、中世的な世界からの解放にあるのです。だがしかし、この個人主義は宗教改革の個人主義とは違います。(先取りしちゃいますが)宗教改革の個人主義は、国家から信仰の自由を勝ち取り、その中で宗教生活を実践するのに対して、あくまでもルネサンスの個人主義は、国家や大商人という既存の権力の庇護のもとで、古代世界の憧憬を仰ぎ見つつ、行われるのに過ぎないのです。その印として、主にルネサンスは(英国も含めた)カトリック的文化圏で既存権力と迎合する形で広まったのです。
  それに対して「宗教改革の精神」とはなんでしょうか。それは、徹底的な《聖書主義》にあります。そして宗教改革は、《聖書と聖書の言葉とから、教会という救済施設をば、客観的な言葉とサクラメントとにもとづいて建設された可視的な制度として、再建したのです》。今さっき出た個人主義ですが、その深み、という点ではルネサンスのほうが深いといえるかもしれません。なぜかというと、ルネサンスの個人主義は中世的呪縛から精神を解放し、新たな思想を次々生み出したといえるからです。それに対して、宗教改革の個人主義は、あくまでもそれまでのカトリック的集団主義に対して、相対的に個人主義であるにすぎないのです。ですが、直接的に社会を動かす力は、宗教改革のほうが大きかったといわざるを得ません。宗教改革は新たな国民教会を作り出し、絶対主義を宗教的に聖別しました。対して、ルネサンスは社会を直接動かすものではなかったです。ルネサンスは教養貴族政治とサロンをつくるだけでなく、権力に臣従するからです。また、宗教改革が起こった地域では、ルネサンス文化が普及したあとはほとんど見られませんでした。
  このようにこの二つは対立したものなのです。トレルチは、宗教改革がルネサンスと比べてはるかに強力な社会学的力を持っていたので、宗教改革が勝利したといいます。ですが、時代が過ぎるにつれて、ルネサンスと宗教改革は啓蒙主義、あるいは新プロテスタンティズムという形で融合を果たした、といいます。宗教改革が勝利したとはいえ、ルネサンスの精神は消え去ったわけではなかったのです。この融合は、いわば両者の妥協の結果であって、それを乗り越えるべきものではなかった、という点に注目する必要があります。近代ヨーロッパの源泉であるルネサンスと宗教改革の二つは融合されたとはいえ、本来的に異質なものだから、(トレルチが生きた意味での)現代においても根源的対立をなしている、とトレルチは述べています。
  私の把握ではだいたいの流れはこういったものだと思います。たしかに両者の特徴を鑑みるに、そのように言えるように思います。ですが、現在の日本の教育では、両者の共通点を見るだけで、その中身を見ていないような気がしてなりません。そのことについてもいずれまた考えられたらいいかな、と思います。次はこの論文の附論「近代のルネサンスの概念の発展」について、書こうかと思っています。
 フーコーは、ルネサンスと宗教改革のどちらの精神性も中世に属するもので、それらの時代は「類似の世界」だったといっています(『言葉と物』)。ここでは細部に立ち入りませんが、ルネサンスと宗教改革の時代に生きた当人たちの認識が依然中世人のままだった、というのは心に留めておく必要があると思います。たしか、クリアーノ(*3)もルネサンス人の考えは中世人そのものだったと言っていました(『ルネサンスのエロスと魔術』)。
  ただし、その当人たちが旧世代に属しているといっても、その意図せざる影響が近世、近代を形作ったというのは否定できないでしょう。
  ニーチェやクリアーノは、ルネサンスと宗教改革については、ルネサンスにより評価を高くおいています。ニーチェの場合は生の地位向上が、クリアーノの場合はグノーシス主義勃興を特に評価しているように思います。ですが、結局ルネサンスは宗教改革の前に敗れ去り、その後の世界の行く先を案じていたります。
  トレルチは、両者は融合を果たしたとはいえ、それぞれの異質性が現代にも受け継がれているといいます。それが《預言者的・キリスト教的な宗教世界からと古代の精神文化からとに由来する根源的対立》です。キルケゴールも両者のどちらを取るべきか、葛藤に悩んだこともあるようですが、最終的には宗教改革の精神をより鋭い形で、デンマーク国教会に注入しようとしたのでした。それで散々叩かれたわけですが、現在では彼の思想が大きく取り上げられるところに歴史の皮肉を感じたりもしますね。
ちなみに本文に出てくる《》の中の引用は トレルチ『ルネサンスと宗教改革(岩波文庫)』(内田芳明訳)からです。
*1 ニーチェにとっては、人間が本来持つ生の力を抑える要因は何であれ悪く捉えられたので、このような結論になったのも仕方ないように思えます。ニーチェは倫理というものをすべて否定するわけではありませんが、奴隷道徳というものを特に嫌いました。奴隷道徳とは、簡単にいうと、本来のあり方を価値顛倒させることで、奴隷(弱者)に勝利をもたらす道徳のことです。ここでは深く立ち入ることはしませんが、生を高めるありかたから、生を低めるありかたをする考え方は、キリスト教道徳に見られるので、ルネサンスが高めた生を否定するルターはニーチェからすれば嫌悪すべきものだったわけでしょう。
*2 理念型とは、ヴェーバーの用語で、「現実には存在しないかもしれないが、理論的枠組みにおいて、当該社会の論理的な典型」です。簡単にいえば、他の社会と比較した際にその社会に現れる特徴の集合体です。
*3 ルーマニア生まれの宗教学者。最後は暗殺される。

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