人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

「同一性」という志向

 
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 すべての人は何らかの形で共同体に属する。それは具体的・抽象的を問わず存在している。連合体・国・地域・都道府県なんかがそうであるし、学校・企業などもそうである。さらに血縁的共同体、地縁的共同体などがあるだろう。
 そういった社会への強い帰属意識、「愛国心」や「郷土愛」の「愛」、つまり「同一性」というものを我々は持っている。例えば国を挙げてのスポーツの試合を熱狂的に応援するときに強まったりする。
 こういった「同一性」の意識を、我々は何らかの共同体に属する限り、捨て去ることが出来ない。ところで、「同一性」の意識を最終的に推し進めるとそこに残るのは、その共同体の利益である。あるいは、「同一性」の意識は、共同体に属する個々人の感情に強く訴えかける。そこにあるのは論理ではない。
 
 しかし、全人類的に必要なのは、こうした「愛」=「同一性」ではない。こうしたものは共同体の利益を求めるものであり、そして感情に訴えかけるという点で、全人類の調和にはそぐわない。そうである以上、我々は全人類的な愛について考えるきっかけが必要であると思う。
 資本主義、民主主義、その問題点と絡めて考えていかねばならないだろう。
※学問(狭義の哲学、自然科学、精神科学)は全人類的に利用できることを前提にする、という点で幾分役に立つところではあるように思えるが、これが共同体を形作れるか、というと否といわざるを得ないだろう。

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Comment

  1. 退会したユーザー より:

    無意識の内にある集団への帰属意識。同一性。それはある集団に所属した時点においては、もうすでにアプリオリに備わっているものだと読んで感じました。
    そしてとある集団に属している個人の同一性は、多元的な人類の調和を実現するにはあまりに感情的すぎるのだと。なぜならその個人は生まれつきそれを持っているのだから、その同一性を否定されたとき、自分を否定されたと感じる。否定された個人は、その否定を受け容れるという概念がないかぎり、感情的に反発せざるをえない。よって調和は、否定を受け容れないかぎり実現しえない。
    潜在的なものは拭い去ることはできないが、無意識にあるものとしてその存在を理解できたら、少しは集団間で調和を実現しようとできるのではないか、と楽観的に考えています。

  2. 退会したユーザー より:

    わヴぇさんの考えでは、個人の中にある社会的な「同一性」の意識は人間に生まれながらに備わっている資質ですか? それとも社会生活の中で芽生えるものですか?

  3. たかはしさとし より:

    >空さんとよっちゃんさんの両人へのレス
     私は、「同一性」については社会生活の中で育つものだと、考えています。
     ただ、単にそれだけではない。生まれる前から受け継いできたもの(例えば神話や歴史―過去についての集合意識とでもいいましょうか)があってこそ、そういった帰属意識がより強められるようにも感じています。
     「同一性」は二重の性格を持つものなのではないか、と思います。

  4. 退会したユーザー より:

    > わヴぇさん
    わーすばらしいお返事をありがとうございます!そうですね、アプリオリか、アポステリオリか、人間ってすぐ白黒つけたがってしまうけど、そんなことばかりしてると真実と認識がずれてしまう。そう思ってるのに、忘れてました。反省です。ありがとうございました!

  5. 退会したユーザー より:

    先ほどから、自分が言う「無意識」について考えていました。僕は「自分のものだとは思いたくない思考や考え」を「無意識」というもので片付けてしまっているのだと気付きました。
    なぜそう考えたのかというと、最近放映されていた「たかじんのそこまで言って委員会」で「中国から学ぼう!」というテーマでの議論が自分の中で印象的だったからです。
    その議論では三人の中国側の方たちと日本側の人たちとが様々な事柄について議論していました。その中国側のある芥川賞作家の女性が、自分の主張が、自分ではその公平性を維持しようとしているにもかかわらず、愛国心丸出しの主張になっていることに気付いていませんでした。自分では中国への愛着がないと言っているにも関わらず、日本側が愛国心丸出しの主張をしたら、その人はそれに対して中国側の正当性を主張するといった具合にです。その人は無意識に自我撞着しているのです。
    その考え方で集団への帰属意識を考えてみると、彼女は自分では中国側だけに偏った主張をしたくない、日本側の良いところを見つけることによって主張の公平性を保ちたい、と思っていながら、無意識に自分が育ってきた中国という社会への帰属意識がその主張に影響しているのです。
    ある集団に生まれたときから長期間属したら、立場の公平性を保つことは難しいです。それは社会の中で長い時間をかけて育まれたものだからです。自分がその集団間で公平な立場を守ろうと思っても、無意識に自分の集団への愛着が干渉するのです。
    それならばいっそう自分の集団への帰属意識丸出しで、公平性関係なしに主張しあった方がよいものを導き出せるのではないかとふいに何となく思いました。上記の「無意識」を踏まえたうえで。
    蛇足ですが、はやくパソコンにインターネットをつなげてキーボードで文字を打ちたい。

  6. たかはしさとし より:

    >よっちゃんさん
     自分で言っててなんですが、「あれもこれも」の議論になってるような気もしなくはありません。キルケゴールの質的弁証法「あれかこれか」を常に念頭に置きたいと思うのですが、客観的真理をはじき出すにはやはり使い辛いのかな、とか勝手に妄想したりしてます。
    >空さん
     そのような実例は非常に参考になりますね。越えようと思っても無意識的に集団の帰属意識≒「同一性」を強くもってしまう問題点は、確かに存在すると思います。それは「集合意識」を頭のどこかで受け継いでいるからでしょう。
    >それならばいっそう自分の集団への帰属意識丸出しで、公平性関係なしに主張しあった方がよいものを導き出せるのではないかとふいに何となく思いました。上記の「無意識」を踏まえたうえで。
     
     確かにそういった状態での話し合いも経た上で、次のステップに進むなど考えられるかもしれません。どのみちあらゆる意味での「対立」が必要になると思います。
    >蛇足ですが、はやくパソコンにインターネットをつなげてキーボードで文字を打ちたい。
     携帯でひょっとしてやってるので?それは大変ですね><

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