ニーチェ『悲劇の誕生』における二つの対概念とソクラテス
現代におけるギリシャ悲劇の再生と誕生をリヒャルト・ヴァーグナーに夢見たニーチェは、自分の学問分野において彼に何か貢献できることはないかと思い、作り上げたのが『音楽の精神からの悲劇の誕生』(第二版以降は『悲劇の誕生』)である。
この書での有名な二つの対概念、「ディオニュソス的」と「アポロ的」について少し見ておこう。ディオニュソスとは酒と狂宴の神であり、衝動と情念の世界の原理である。「ディオニュソス的」とは、生の根源に潜む情念と衝動から、すべてを生み出すもとである。その生み出されたもののすべて、森羅万象がアポロとされる。ディオニュソスが夜であれば、アポロは昼、ディオニュソスが音楽であれば、アポロは造形芸術とされる。
ギリシャ悲劇は、このディオニュソス的なものとアポロ的なものの融合において完成するのであり、どちらかに偏ったりする場合は悲劇は成立しない。後年、ニーチェがディオニュソス的なものを前面に押し出しているため、本書においてもディオニュソス的なものを高めているという単純な見方が存在するが、それは正しくない。
こうしたギリシャ悲劇は、ソクラテスの登場とともに終わりを迎えた。ソクラテスが象徴するものは、近代的学問のことであり、理性と分析的態度による(真の)芸術の解体が始まる。ディオニュソス的なもの(情動)を押し込め、アポロ的なものだけを取り出すことで、歪んだアポロだけが残る。そうして芸術は成立しなくなる。
そうした世界の科学化をとめることが課題である、とニーチェは見る。そしてヴァーグナーの総合芸術こそ、ギリシャ悲劇の世界を再生させるもの、ディオニュソスの再来である。