人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

草光俊雄「われわれはなぜ過去を問うのか」

 
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『未来のなかの中世』所収
 過去を問うとはどういうことか。「人びとは過去という創造の世界の中で、自由にたわむれたあとで、再び現実の世界に戻ったときに、空想の中で体験した出来事、祖先の体験の追体験を行うことによって、自分の中に過去から流れ来たった集団的無意識を自覚し、あるいはめんめんと続いてきた祖先の知恵を学び、現実への教訓を得て、賢い人間へと近づいていこうとする」ことである。そういった点では、歴史は神話や伝説と厳密に区別することはできない。
 
 「あらゆる歴史は現代史である」イタリアの歴史家クローチェの言葉である。歴史は現代と過去との間の一種の緊張の上に成り立っているのだ。すなわち、現代の鏡として人々は過去を見るということである。現在への不信、不満を過去に反映させ、映し出すことがさまざまな歴史家によってなされてきた。
 ルネサンスの時代、まず「古代人対近代人(現代人)」の形でこの歴史観は現われた。ルネサンスとは単なる文芸復興ではなく、まさしく再創造性によって新たな価値観を持つということであった。この背後には「過去と現在の優劣の問題が控えて」いるのだ。ルネサンスにおいては、過去が優れたものとされ、手本とみなされた。17世紀になると、古いギリシャの知識は真理を解くことはできないとされ、近代人の優位が主張されるようになる。18世紀になると、「近代の優越」はますます支配的になっていく。そして19世紀に入り、産業革命とフランス革命という経済と政治の二つの大革命が西洋中に波及し、人々の生活のテンポは急速に速くなったように感じられたのであった。そこで人々は自分たちの伝統や文化が破壊され、取り返しのつかないことになってしまうという一種の危機意識が生まれた。人々は「自分たちの時代を過渡期の時代、過去から未来への移行期、古いものが取り壊され、まだ新しいものが建設されてはいない状態にある次期、として捉えて」いたのであった。
 その時代に、停滞の時代、暗黒の時代と捉えられていた中世は、輝かしい姿を持って再発見されたのであった。中世は近代に対する批判として、理想的な姿として描き出された。やはりここでも現代の反映として過去、中世があるのだった。「アート」「デモクラシー」「カルチャー」「インダストリー」「クラス」などといったキーワードは「18世紀から19世紀にかけて大きな意味の変更がもたらされたり、あるいはこの時代にまったく新しい言葉として登場してきた」のであるが、中世や近代という言葉もこの時代に大きな変更がなされたと言っても良いのだろう。
 「自分たちとは異なった時代や場所に属する価値観や意識を認めようとする態度」、多元的な価値を認める多元的歴史主義の立場に立つことで初めて古典古代や中世の復権が可能となった。ただ、こうした「近代批判の枠組みも実は近代によって生み出されてきた」ことを忘れてはならない。
 歴史を学ぶことは、未来への道を切り開くことでもあるのだ。

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Comment

  1. 退会したユーザー より:

    わヴぇさんは一体何者なのですか!?
    多くの思想家の思想にふれて、おそらく様々な世界観を持っているのだろうと思い、すごいなあ、と感心します。

  2. たかはしさとし より:

     世に謂う奇人、変人の類だと思います。色んな思想に手出しすぎて結局何が何だかわからなくなってる自分がそこにいたりするのです。
     ロシア文学について少し触れてみたいなあ、と思い手を取ったのが『人生論』だったんですが、あまりの哲学的内容に手を焼いてしまいました。今はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』読んでますが、登場人物が多すぎて覚えられません(人の名前とか覚えるの苦手なんで)。
     歴史は趣味で好きなんです。

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