人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

フロム『自由からの逃走』を読むための用語解説/懐疑主義 p276 |『自由からの逃走』17

2022/08/11
 
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“19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、ヘーゲル的合理主義の崩壊とともに、再びルネサンス期にも比すべき知的混乱が生じた。この中で生まれた種々の哲学、たとえば反合理主義的信仰主義、反形而上学的実証主義、あるいは歴史的・心理学的相対主義などは何らかのかたちで懐疑主義的要素を含んでいる。1960年代から英米を中心に本格的に始まった懐疑主義研究はこうした知的状況への根本的省察といえよう”(『岩波哲学・思想事典』, 岩波書店, 1998)

古代から現代まで連綿と続き懐疑主義の特徴は、ずばり人間の認識能力は有限でさらに相対的であり、普遍的真理の認識は不可能である、という考えを説く立場全体を指します。独断論に対する言葉として懐疑主義はあります。

優れた哲学者は懐疑と独断の間を常に揺れ動く存在である、といえるでしょう。まず既存の思想に疑問点を感じてそこを吟味し、自分の結論を出す。そしてその結論の中に再び疑問点があれば、そこを深めていく。そうした考え方はまさしくカントの批判哲学につながるものとなります。

ただし懐疑的側面ばかり取り上げると、不可知論としてのニヒリズムに行きつきます。結局どんな頑張って生きても人は死ぬんだし、頑張るしかないよ、というようなことを言い出す輩が出てきます。

さらに懐疑的側面を推し進めると、大事な部分もそうじゃない部分もどれも等価値であるような錯覚を覚えさせるような相対主義思想が生まれてきます。相対主義の視点はとても大事ですが、それが行き過ぎると悪平等(ヘーゲルの概念。平等をただ何の社会的文脈もなく押し付ける悪しき平等、例えば収入はみんな等しいものにしようとする政策など)に転化してしまいます。

われわれは絶対的なものには到達できないし、それを自覚しないといけない。でもそれを痛いほどわかりつつ、それでも絶対的なもの、つまり理想に現実を近づける努力をやめてはいけない点があるように私は思います。懐疑論が行き過ぎるとはそうしたことの重要性を忘れさせる結果となることが多いようです。

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