人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

日本の死生観考察

 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
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前に興福寺のお坊さんのお話をお聞きしたときに、
奈良にもともとあった宗派(南都六宗)は
死者の供養を行わないと言っておられたと思います。

興福寺の属する法相宗はじめ、律宗や華厳宗、三論宗、
さらに小乗的要素も大いに含んだ倶舎宗、成実宗
というのは、難解に思われることが多いんですけど、
実際は「今を全力で生きる方法論」という側面が強い、
とぼくは分析しております。

つまり、奈良に入ってきた仏教諸派は
あの世のお話などを戯論(無意味な考え)として
斥けていたから、死者の供養なども
釈尊の教えとは遠いということで、
行わなかったのだろうと推測しております。

これはもともとインドには家の先祖を崇拝したり、
死者を供養する文化がなかったのが
そもそもの要因だと思います。

日本で最初の仏式の葬式が行われたのは、
聖武天皇がなくなった際だといわれています。

ここらへんをいろいろ調べると、
仏式葬式とはいえ、葬儀具は大陸や半島の仏式のものを
取り入れてはいたものの、僧侶はまだ葬式には
参加していなかったらしいです。

こういうことを考えると、
まだ仏教は生を扱う教えであって、
死を扱う教えではなかったのでしょう。

奈良でお墓参りにいかないというのも、
もともと南都六宗があった関係もひょっとしたら
あるかもしれませんね。

ちなみに庶民の葬式で仏式がメインになったのは
江戸時代の檀家制度以降だといわれております。

死生観というのは時代の変遷を見るのも難しいですし、
さらには地域差も大いにあります。
本当は日本土着の死の儀式や考えがあり、
さらにそこに大和民族が放逐したであろう
アイヌ系民族がもっていた死へのとらえ方があり、
渡来系(朝鮮系も漢民族系も)の人たちの死のとらえ方があり、
儒教や道教、仏教の死の概念があり、
一緒くたに語るのは大変難しいですけど、
こういう話題が出て調べていくのは大好きです。

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