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後に続く仏教の共通の土台を提供する『スッタニパータ』|釈徹宗『お経で読む仏教』第2章のミクロダイジェスト




どうもこんばんは、高橋聡です。今回も前回に続いて『お経で読む仏教』のミクロダイジェストをお伝えしたいと思います。今回は仏教でも最古層に位置するお経『スッタニパータ』のミクロダイジェストをお届けします。

前回の記事はこちら。

まだ読んでいない方は読んでみてください。

『スッタニパータ』の主題

それでは『スッタニパータ』は何を教えているでしょうか。『スッタニパータ』には縁起説四諦説など仏教の共通の土台となる教えがつまっています。つまり『スッタニパータ』を読むことでブッダの説いた教えの原型に近いものに触れることができるというわけです。ここでは仏教の共通概念が示されたのが『スッタニパータ』だとおさえておいてください。

『スッタニパータ』1章、『慈経』

『スッタニパータ』1章は蛇の章とも呼ばれ、蛇の脱皮と輪廻からの脱出、解脱・悟りといったものを重ね合わせていろんな教えが説かれています。輪廻とは業によって報いがあるという、インド思想に顕著な死生観です。来世は現世の業によって宿命づけられている、とインドの方々は考えます。業とは行為によって生じるものであり、身口意の三業が蓄積されたり解消されたりするのです。解脱するには業を立つ必要があると考えられ、業を解消する行為をまっとうすることが解脱です。業が完全に解消された状態が涅槃です。

他にも『スッタニパータ』の1章には『慈経』と呼ばれるお経がおさめられています。この『慈経』はいまでも上座部仏教の修行僧に読誦されています。衆生に慈しみの心を起こす仏教者の心構えが説かれているお経です。

『スッタニパータ』の教え1 苦(ドゥッカ)が世界の本質である

『スッタニパータ』を初めて読む人にとって、この書物は雑多にさまざまな教えが説かれているという印象を受けることでしょう。とはいえ、大事な部分は繰り返し語られたり、場合によって矛盾する教えを弟子たちに説いていたりするのは、ブッダが対機説法といって相手に応じた説法を行っていた証拠ともいえるものです。仏教のなかで最も大事な教えの一つ、四諦説の一番最初にある苦諦を理解することが仏教者のスタート地点となります。

苦諦とは苦に対する神聖な真理といった意味です。苦(ドゥッカ)が世界の本質であることをまず理解することが苦諦です。とは自分の思いどおりにならないことから生じる感覚、事実であります。

その苦は仏教では執著によって生まれるとされます。執著とは自分や物事に固執して心がとらわれることをさします。さらにそうした執著の本当の原因には無明、つまり世界の構造や仏法に対する根本的無知があります。この無知を解消するための第一歩が世界が苦であるという認識なのです。

『スッタニパータ』の教え2 中道|極端に偏りすぎない

仏教は世間の道である楽道、つまり楽しみや快楽をただ追い求める生き方はもちろんしません。逆に当時のインドの宗教者に支配的だった苦道、修行によって肉体を苦しませて解脱する道もとりません。

中道苦楽の両方の生き方から離れている生き方をさします。ただ苦により耐え続けるのではなく、また楽を追求し続けるのでなく、その間(とはいっても常に中間である必要はありません)の道をとる、というのが仏教の基本姿勢です。

この中道に生きる仏教者の真理は、道諦として仏教では知られています。中道を実践する生き方には、八つの実践項目があり、これが八正道と呼ばれるものです。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の正しい生き方を実践しようと努力することが仏教者のつとめとなります。

『スッタニパータ』の教え3 智慧と慈悲

智慧は一切の邪見(間違った見方)から解放された正しい世界の見方をする能力です。智慧により物事のあるがままの実相を見ることができます。

慈悲は相手の苦を抜きとる、相手に楽を与えるという二つの働きがあるとされています。慈悲とは真に相手を思いやった無私の相手のための実践すべてをさします。

仏教では智慧と慈悲は切り離すことができません。智慧のない慈悲はなく、慈悲のない智慧はありません。いわば仏教の教えの両輪といえるのが智慧と慈悲であり、仏教の根本にはこの二つの考え方があります。

『スッタニパータ』の中での対比1 ドグマと仏教

仏教、特に原始仏教は教えを絶対視することをしません。教えの絶対視とは何かの真理が絶対であり、他のものは間違いであるという考え方です。ブッダの生きた時代は六師外道という偏った考え方を持つ人たちが活躍した時代でもあります。古代インドでもドグマは宗教だけで主張されたわけではなく、唯物論や道徳否定論、不可知論や宿命論などが主張され、それをドグマとして受け入れる人たちは思いの他多かったようです。

ブッダはある教えを絶対視することを避けることを教えます。ある意味これは宗教の開祖としては驚くべき態度です。つまりブッダは自分たちの信じて実践する教え以外の教えにも、正しい部分があることを明確に認め、他の宗教の信者などを差別してはいけないことを名言しているのです。これは仏教の中である意味最も素晴らしい部分ではないでしょうか。

『スッタニパータ』の中での対比2 解脱と輪廻

仏教では解脱=悟りを目指します。解脱した境地を涅槃(ニルヴァーナ)とも呼びます。仏教者は何から解脱することを目指すかというと、輪廻というインドに特有の考え方です。

インドでは輪廻転生といって人々は前世の業に影響を受けて今世を生き、今世の業の影響を受けて来世に生まれかわると考えられています。これが延々と続くのが輪廻です。

この輪廻という考え方は壮大な死生観ではありますが、今の苦しい世界に生まれてきて、来世もその次も苦しい世界に生まれるんだ、というインド人の悲観的な世界観では苦しみが永続する世界観でもあります。

だからインドの修行者たちはこの輪廻からなんとか解脱してやろうと考えたわけです。仏教もその教えを受けついでいる部分も大いにあります。

蛇が脱皮するように、輪廻を解脱する仏教者のなすべきことを『スッタニパータ』では説かれています。

『スッタニパータ』の中での対比3 慈悲と暴力

仏教ではことのほか慈悲を大事にします。慈悲と対極にあるのが暴力です。

人に良い影響を与えるのが慈悲です。無私の実践からなされる慈悲行は、相手が変わろうがそうでなかろうが、どちらにせよ相手を助ける行為です。慈悲の対象は相手ですが、相手のことを真に思いやった上で慈悲ははじめて成立します。

人に悪い影響を与えるのが暴力です。自己中心的な考えからなされる暴力は、相手に無理矢理変わろうとすることを強制します。暴力の対象も慈悲と同じく相手ですが、相手の思いなどは全く度外視して自分のコントロールに置こうとするのが暴力なのです。

仏教が暴力に否定的な理由はこんなところにあります。

『スッタニパータ』は仏教の基盤を提供する

結局のところ、仏教の後の教えで重要になる概念はすべて『スッタニパータ』にあると考えてよいでしょう。ブッダが説いた教えに最も近い教えがまとめられているのが『スッタニパータ』であり、これを読むことでブッダの教えに近づくことができます。

以上、最後まで今回の記事を読んでいただき、ありがとうございました。

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