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善意志、義務、自律というカント道徳論の3つのキーワード

2017/06/27
 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。

人生において重大なのは生きることであって、生きた結果ではない。

ゲーテ

どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。この内容は石川文麿『カント入門』に大きく依拠しています。

前回は自由と自然法則による因果性について考えました。今回は引き続き、カントの道徳論における重要な3つのキーワードについて考えます。ずばり善意志、義務、自律です。これはどういう意味を持つのか。考えましょう。

善意志

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カントの道徳は善意志という概念から出発します。善意志とは、善そのもののことで、言い換えれば善の物自体です。道徳において、徳を仮象(かしょう:偽りの/見た目だけの)の徳ではなく、真の徳とするのは善の物自体つまり善意志だ、とカントは指摘します。通常物自体は見ることも聞くこともできないですが、善の物自体だけは体現可能なのです。

カントの倫理学の出発点、善意志は厳格な概念です。善意志は自発的なものですが、かといってやらなくてもいいものではなく、義務なんです。義務ゆえに厳格なのです。義務というのは一切の利害を離れているものである必要があり、逆境にあってもなお善を実現するためには義務感が要求され、その義務感をもって善がはじめて実現するのだとカントは言います。

ところで建物の価値ってなんでしょう?例えば、建物の外見、立地の利便性や使い勝手の良さで評価されることが多いです。もちろんそれも数ある価値の一つでしょう。でも建物の真価は危機の時にこそ認められます危機のときに倒れずに中にいた人を守れるかということです。危機とは大地震や台風、その他天災などのときのことです。大地震で倒れずに人を守るためには、基礎設計がしっかりしていないといけません

上の建物で示したことは、道徳についても同じように言えるのです。真の道徳の基礎設計、基礎づけをカントは行おうとするんです。仮象道徳(手抜き工事でつくられた道徳)ではなく、真の道徳を目指すカントの試み。そういう意味でもカントの道徳論は厳密なんです。

義務

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ところで義務とは命令文から成り立ちます道徳における命令文の方式をカントは命法と呼びます。命法には仮言命法(条件付き命法)と定言命法(無条件命法)の二つの種類があります。

仮言命法とは、たとえば人に「裏切られたくなければ嘘はつくな」というようなもの。条件がついていますね。この場合、「裏切られたくなければ」の条件がなくなれば、「嘘はつかない」ということの意味はなくなります。そして仮言命法においては命令そのものより条件のほうが大切だ、とカントは指摘します。「嘘はつかない」ことが目的なのではなく、「裏切られたくない」ことが最終目的となっています。その裏切られたくないことが命令そのものへの隠れた動機となっているのが問題だ、とカントは指摘します。裏切られたくないから私は嘘はつきません、これってエゴイズム以外の何物でもないですよね?

これに対して、定言命法とは単純に「嘘はつくな」というようなものです。条件がついていません。カントによれば、この条件がついていない定言命法こそが真の道徳法則なんです。さきほどあげた、条件がなくなれば命令の意味がなくなる問題点と、命令よりも条件のほうが最終目的だという問題点を解決できるからです。カントははっきりと条件付きの仮言命法のことを「道徳性のにせの原理」と言っています。

たとえば教師が生徒に道徳を教える際のことを考えましょう。教師が「他人に親切にしましょう」と言うだけでなく、「自分が人に親切にされたかったら」という条件をつけて説明したとしましょう。そうすると、人に親切にされたいがために生徒は親切にするでしょう。あるいは人に親切にすれば褒められるから人に親切にする場合はどうでしょう。この場合、褒められることが幸せに感じて、いつしか幸せという見返りを求めて、親切という行為をなします。だから、見返りが得られないときは親切にしなくていいという逆の見方もするようにその生徒はなるでしょう。

カントはこういった問題から、仮言命法を否定します。動機や条件による教育はまれにしか効果を及ぼさないと指摘します。さらには動機や条件による教育が悪につながり、打算的な人間しか生み出さなかったり、エゴイズムを生み出したりします。これが動機付け教育に潜むパラドックスです。

対して動機を一切要求しない定言命法こそ、即効性はないがそれだけかえって末長く多くの人の心に残る、とカントはします。

 自律

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カントは「道徳法則への尊敬の念」こそが人に義務を守るようにするといいます。簡単にいうと、義務を遂行するには抵抗を感じます。抵抗がなぜ起こるかというと、人間は感性的存在であり、感性などが惰性へと向かうからです。でもその抵抗を乗り越えるものが道徳法則への尊敬の念である、とカントは指摘します。

では道徳法則とはなんでしょうか?

カントにいえば、次の道徳法則こそ真の道徳法則なんです。

きみの意志が行動するときに従うルールが、常に同時に普遍的な立法の原理となるように行為しなさい

この法則を守ればみんなが本当に良い社会を作れる、カントは真剣にそう信じました。

定言命法以外の動機つき命法はすべて退けよ、ということは結局どういうことでしょうか?動機付きの命法に従うこと意志の他律自分以外に律するものがある状態のことをさします。結局のところ、上であげた人に裏切られたくない、人に親切にされたいというものもすべて意志の他律にあたるわけです。人に裏切られたくない場合以外でも嘘をつくべきではない状況はたくさんあり、カントは実際に条件をつけてはならないといっているわけですから、常に嘘をつくべきではないのです。普遍的な立法の原理とならないようなものは、すべて意志の他律なんです。

逆にいえば、定言命法を守れる人間こそ、意志の自律を働かせることができる人間です。自律とは自由の別名だ、とカントは指摘します。

本当の自由は自律だ、条件付きの仮言命法に従っているうちは本当の自由などない、カントは断言します。

まとめ

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このことばを聞いて、あなたはどう思いましたか?

自由とは自分がしたいことをする権利ではないのか!違います、あなたが従うべき定言命法に従って行為することこそ、自由なんだ。自律ができない人間は自由ではない。他律への隷属状態にある奴隷なんだ!

実はニーチェより過激なことを言っているかもしれないカント。

こんなカントだからこそ、将来を見据えて国際連合の理想が出せたのかもしれません。

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