人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ブッダのいいたかったこと

2021/05/13
 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。大阪では、今日は一日雨でした。雨だからこそ、晴れの日が多いありがたさがわかるというものです。実際、今冬に入ってから雨や雪は大阪ではほとんどありません。

ブッダの目標は悟り?

仏教の最終目標は輪廻からの解脱、つまり悟りそのものだということはよく聞く言葉です。ぼくもこれ自体に異論はありません。今現在、仏の教えと言われているものはすべて何らかの形で悟りを得ることが最も大事なことだと考えられています。上座仏教でも大乗仏教でも、禅宗でも日蓮宗でも浄土教でさえそれは変わりません。

ところがブッダが悟りそのものを求めていたのは間違いありませんし、実際に悟って、弟子たちに悟りが得られる方法を伝えたのも間違いありません。悟りは仏教、つまりブッダの教えの中心命題である、それは僕も否定しません。

でも悟ることを大事だと考えたのだとしても、ただ悟ればそれでいいのか、という問題があります。どんな方法でも悟れさえすればいいと考えるのではもちろんありませんね。

悟りに知恵と慈悲の二つの要素が必要だと言われるのは、悟りを得るための知恵を得ても、同時に他人を思いやる心である慈悲を持っていなければ何も意味がないからです。

考えてみてください、簡単に悟る方法を知っている人がいても、この人から教えられたい、この人はすごいということがなければ、誰もその人の下で修行して悟ろうと思いませんね。

ブッダ自身が優れた人格者であったのは、2500年程度経った今でもブッダを崇敬する人がいる事実からも、容易に読み取ることができます。

つまりここでのお話は、悟りはただ悟るだけではダメだというお話なのです。言い換えれば、悟るのも大事ですが、悟るきっかけとか他人を思いやるような優しいこころとかの方が大事なんじゃないかな、とぼくは思います。

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name=”DV7DK”>ではブッダは悟り以外に何を大事にしたか?

ブッダが大事にしたこと、それは自分の自立と他人を助ける心です。ブッダがまず悟ろうと言ったのは、その人間の内的な心の平安を悟りで得て、まず他人に出来る限り迷惑をかけずに自分の力で生きていくこと、つまり自立することがひとつあります。感情に流されずに生きるということでもあります。そして悟れば心の余裕を持てることから、その分人に優しく出来るでしょう。人を本心から思いやる優しさこそ、最も大事な要素でしょう。だから他の人を助ける優しさを慈悲と呼んで大事にするのです。

他には何かありますか。すべてに優劣をつけず、平等に扱う平等心も大事ですね。もっと大事なのは、悟りの後に何をするか、ということでしょう。ブッダが本当に言いたかったのは、悟りの後にすることじゃないでしょうか。

悟りのための共同体、サンガ

ブッダは世俗と修行者の二つに人間を分類しました。なぜそんなことをしたのか。そこには実は深い意図があるように思います。

どんな組織であっても、一般の構成員と特殊な役割を担う役員は断絶があります。
とはいえそれはなんのためかというと、まず役員が組織のための思想を共有するんです。組織にとってもっとも大事なこととは何かを役員が考えるのです。その思想に基づいた計画と行動を実践する段階で、一般の従業員にもその思想を伝え、みんなでより良い結果を求めるのです。いわゆるトップダウンアプローチですね。

仏教徒の組織も元来はこれと同じものです。修行者の集まりたるサンガの中で修行者は自分自身を高め合って、良い思想や環境を育んで、その良い果実をさらに一般の世俗の人々に分配するのがブッダの目的だと思います。

大衆部と上座部の分裂からの部派仏教の誕生

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name=”KGvgX”>しかし、優れた人たちの集まりであると自負したサンガは、自分たちこそ選ばれた指導者層なのだと勘違いしました。そして自分が一番偉い、というブッダが最も遠ざけようとした傲慢さをもった修行者たちは、自分の教えが一番とだんだん分派していったわけです。これが大衆部と上座部に分裂したあとに出てきた部派仏教時代です。

大乗仏教の誕生

サンガの奴ら、ろくな人間がいない、ブッダの教えとちゃうこといいまくりやん、とサンガ内部でも世俗で暮らす仏教徒の中でも気づくひとがたくさん出てきます。そのとき、ブッダの精神に戻れ、と説いたのが大乗仏教です。

ところが大乗仏教は部派仏教以上の速度で分裂し出します。なぜか。ブッダの精神に則ったと認められるものなら、それは仏典となるからです。いろんな仏典が出てきて、その信奉者たちがこれが正しい、あれは間違ってる、と言い出します。

結局は大乗仏教も部派仏教と同じような袋小路に入り込んだわけです。

仏教が分裂するのは必然

仏教が分裂するのはある意味当たり前なのです。

ブッダは最後の言葉として、次の趣旨の発言をします。

私の教えは自分が納得したものをしっかりと取り組めば良い。結局悟ることも、他に私が教えたこともも二次的なもので、自分を拠り所として自分を保ちなさい。

逆に言えば、自分の心に邪な気持ちを持たずに自分に従い、人を助ける優しさがある人間は、それだけで元来仏教徒なのです。

だからブッダのことが全ての人から忘れ去られたとしても、仏教は人がいる限り永遠不滅なのです。

以上、ブッダの大事にしたことについて仏教の歴史を少しみながら、考えてきました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
たかはしさとししるす

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