人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

インド哲学を知ろう10〜バガヴァッド・ギーター

2017/09/06
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回はインド土着の思想や宗教とバラモン教の習合について見ていきました。今回はそれらの観念を受け継いで、もっとヒンドゥー教の教えを先鋭化させることになるバガヴァッド・ギーターについて見ていきましょう。

バガヴァッド・ギーターの哲学

Bhagavad gita 323797 1920

バガヴァッド・ギーターの概要

クリシュナが、バガヴァッド・ギーターという叙事詩の勇者の一人アルジュナの戦車の御者として、同時に救済道の教師として登場します。クリシュナの説く救済道とは、クリシュナが自ら同一だという崇高な神バガヴァットへの帰依による解脱の道のことです。バガヴァッド・ギーターは西暦紀元前三ー二世紀に成立したもので、自らウパニシャッドと称しています。事実、ウパニシャッドの名を冠する古期の作品に基礎を借りて、その上に直接作り上げられたのです。

アルジュナらに対抗して敵陣営に立つ兄弟親戚、師友たちを殺害することをアルジュナが躊躇する中で、クリシュナは三通りの論旨でアルジュナを励まして、アルジュナに武人としての義務の遂行を迫ります戦闘で討たれるのは人間の不壊の霊魂ではなく、滅ぶべき肉体にすぎません。先頭こそは武人階層の最も大事な義務です。戦闘での勝利は王侯の最も求むべきもので、戦闘での死は天上界にいくことができます。これらの義務をないがしろにすれば、恥辱を招くとクリシュナは述べます。

ギーターの二元論

Dualism 1197153 1920
ギーターの詩人は二元論の立場をとります。永遠に対立する二つの実在原理があります。ひとつはプルシァ、あるいはアートマンなどと名付けられ、個人格の中核をなして、不変で活動性のないもの。もう一つはプラクリティと呼ばれる根本物質です。プラクリティとは、非霊魂的なもの、生ある存在の肉体と精神的諸能力との双方を含む物質的なものの一切の素材かつ基盤、原因と作用の全てを規定する物質的根拠、世界におけるあらゆる運動の基礎的原理です。ここですべて存在するものは不滅であり、非存在は考慮外であると述べられます。プラクリティは絶えず活動し、変化して、生成・展開・消滅を繰り返しますプラクリティの様々な現象形態は、三種のグナの理論で説明されます。グナが様々な組み合わせで混じり合って、プラクリティから生じるすべてのものを形造ります。グナは活動の、あるいは人間の精神的活動の唯一で必須の原理です。

すべての存在は現象界にある限り、この大自然のグナの作用に従います。三種のグナの組み合わせと作用から、様々な気質・感情・行動などが生じます。個々の存在では、3種類のグナの中のどれか一つが優勢であり、それがその存在の性格を決定します。

アートマン、つまり最高の内省を収める原理、個人格の核心部は本性上、完全に寂静です。賢者は霊魂は不壊であり、肉体が滅ぶとも霊魂は滅びないと洞察します。

ギーターの最高神の概念

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バガヴァッド・ギーターは二元論の体型の上に、さらにプルシァ・プラクリティとは異なる第一の原理、最高神を立てます。最高神とは最高我であり、宇宙に満遍なく存在する主宰神ありとあらゆるものの中に存在する支柱、最高の神です。最高神は万物の中に存在し、また万物は最高神の中に存在します。最高神は万物の内なる精髄、その本源であり、最高神より高いものは、何一つ存在しません。最高神は一切万物の種子、日月における光明、ヴェーダにおける聖音オーム、大気における音、男における男らしさ、生きとし生けるものの生命です。

最高神は内在的というよりも、むしろ宇宙転現の原理です。ギーターはまた、汎神論も認めます。さらに従来梵の名によって呼ばれてきたものは最高神であるとも考えられています。非人格的な梵の概念が、ギーターの最高神の概念の中に混在しています。最高神とは、永遠で不変な超越的原理、同時にまた内在的原理であり、終末論的な絶対者です。

最高神の幻力(マーヤー)

最高神が宇宙が存在するようにするような意志活動を、最高神のマーヤー(幻力)にギーターは帰しています最高神が神自身を自己のマーヤーで現象として顕現させ、一切の万物を舞台の上の操り人形のように回転させることができるとされます。最高神は人間の思慮を超えたマーヤーによって不生不滅の自己の本性を凡人の目から覆い隠しました。しかしこのマーヤーによって人間界に出現することもできます

人間と行為、運命、最高神の関係

人間と行為、運命、最高神との関係についてバガヴァッド・ギーターではどう考えられているでしょうか。ギーターによれば、輪廻転生に導くのは行為自身ではなく、好ましい結果を欲求すること、行為の報いあるいは行為の結果に対する執着と欲望であるとされます。ギーターは輪廻の生じる経過について簡単な説明を与えています。人間はグナの活動によって心が惑わされ、無知の生贄となります。無知から欲望・執着が生まれ、そこから精神的機能の破綻が生じます。欲望、忿怒、貪欲は地獄への三重の門だと言われます。

そして解脱するには、苦行者のいうように無作に執着してはいけないといいます。欲望、忿怒、貪欲の三悪徳を避け、ただひたすらなすべきこととして、行為の結果を顧みずに行為しなければなりません人は私欲利己心を離れて行為すべきであり、行為から生じる結果や利益に執着することなく、自己に課せられた義務を遂行すべきであるとギーターはいいます。

そして、真の知者は最高神が一切万物の内に存在すると知り、一切のものを平等に見る必要があります。これが解脱に必要な平等観です。

心は静寂に帰し、超然として動ぜず、心中に私欲利己心なく、公平であり、地上のものに対して平等な状態で、人はヨーガを修めないといけません。ここでヨーガというのはカルマ・ヨーガのことです。自己の本来の義務に遵うことによって、解脱に至る道であり、体系的訓練に基づく錬成の道です。これこそが救済の道です。

いずれの神を崇拝しても、それに応じた報いがあるとされました。信仰をそなえて他の天神を祀るなら、たて最高神を直接祀っていなくても、最高神を祀ったことになると言うのです。

クリシュナはジュニァーナ・マールガという知識による解脱の道を認めますカルマ・ヨーガを完遂したものは、すぐれた解脱に導く知識を自己自身の中に見出すとさえいいます。

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ギーターはさらに解脱にいたる第三の道を教えます。それが献身(バクティ)の道です。最高神に対する、あるいはインドで非常に篤い尊敬を受けていた導師・心の教師に対する献身が大事とされました。献身によって、人は最高神を知り、最高神に至るといいます。献身に関して、多くの箇所で述べているのは、アートマン、つまり霊魂・精神・心あるいは意欲や生命などを最高神に向けること、そして最高神に帰依することです。最高神を敬愛し、身を捧げる人は、最高神の中に生き、最高神に到達します。

こうしてインド人一人一人が、ギーターを手にしてそれぞれ独自のやり方で解脱を追い求めることができました。

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