人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

インド哲学を知ろう13〜古代インドの唯物論者

2017/09/10
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回は古典ヨーガを紹介しました。今回はこのシリーズ最後となりますインドの唯物論について見ていきたいと思います。

古代インドの唯物論

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マハーバーラタでの唯物論者の扱い

マハーバーラタでは、疑惑の徒や不信の輩に対する非難や論駁も含んでいます。大いなる怨敵として唯物論は考えられていました。唯物論はいかに無視されても、貶められても、絶えず正統派に対して戦いを挑みました。

唯物論者たち

霊魂と物質は別々に存在することを信じていた古代インドの思想家たちは、唯物論者は一片の同情にも値しない存在でした。唯物論を最初に主張したのは、パーヤーシという人物です。パーヤーシは来世なく、再生なく、業もなしという根本命題にそって主張する議論を行いました。パーヤーシは比喩にすぎないバラモン達の推論を否定し、類比に基づく結論が不完全なことを主張しました。アジタは虚無論者として知られました。アジタは仏陀と同時代の人で、ヴェーダとバラモンの権威を否定したのに加え、この世と来世、再生と業の報いなどはないと主張しました。不可知論者として知られたのは、サンジァヤでした。サンジァヤは来世と応報についての判断を差し控えました。

唯物論者たちは世俗的な目的を追い求める人々に影響を与えました。チャールヴァーカ、ローカーヤタと呼ばれる唯物論者・虚無主義者などが現れました。この立場は政治家の社会に信奉者が多くいました。実利説、現実世界と物質的利益の追求の説を唱えた人々もいました。この説はヴェーダを単に心の惑いと判断して法を否認するか、法によって自己の利益が促進される場合に限って法を認めるという考え方をした人に信奉されました。

カウティルヤは『実利論』を著しましたが、バラモン達の教説と唯物論との間の調停をしようと試みました。彼の立場は簡単にいうと法の上に実利を置いたのです。

懐疑論者も現れました。彼らは唯一の認識根拠として直接知覚をあげ、他のものを退けたのです。

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