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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の書評を書きました

 
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どうも哲学エバンジェリスト高橋 聡です。更新に日が空いてしまいましたが、ぼちぼち再開したいと思います。

今日は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の読書メモと書評を書きました。結構長いですが、良い本なので読んでくださいね〜。

M.ウェーバー著・中山元翻訳・日経BP社のものです。

読書メモ

信仰と社会的な層の分化

プロテスタンティズムを信仰している人は、教養高く社会的にも高い地位にいることが多いのはなぜか。

覚えておくべきことは、宗教改革により出現したプロテスタンティズムはカトリシズムによる人間の生活の支配を解放したものではない。カトリシズムにとって変わり、プロテスタンティズムが人間の生活を支配したのだった。

当然ながらカトリシズムとプロテスタンティズムの行動様式の違いがある。

特にプロテスタンティズムの行動様式の違いを説明するのには、外的、歴史的、政治的な状況の違いよりも、内在的かつ持続的な特質の違いに着目すべきだとウェーバーは言う。

ではプロテスタンティズムに内在的で持続的な特質とは何だろうか。

「現世的な楽しみを好まない傾向」つまり禁欲こそがそうである。特にカルヴィニズムにおいて顕著に現れる。カルヴィニズムと資本主義との結びつきは確実にあって、近代資本主義の文化と初期プロテスタンティズムには内在的な親和性があるのだ。

本書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の課題は次の通り。

イメージで語るのを避け、

①宗教改革以来のキリスト教の宗教思想の世界に固有の特徴 と

②それぞれの思想の違い

に立ち入って問題の定式化をめざす。

さらに前提の確認として


プロテスタンティズムに固有の特徴とは何かを確認し、

さらに


本書で企てた研究の意味はどのようなものかの確認も行う

資本主義の精神

歴史的な個体としての「資本主義の精神」

近代資本主義と資本主義の精神を一つの複合体としてみて、全体を概念的に構成する

フランクリンの「資本主義の精神」の確認をする。

”人に信用される立派な人柄という理想と自分の資本を増やすことを自己目的とするのが各人の義務であるという理想”こそ資本主義の精神とみなされるものである。

フランクリンの倫理の最高善→あらゆる無邪気な享楽を厳しく退けてひたすら金を設けること

ただ自己目的として。

ここでは能力の高さ=有能性は金儲けができるかどうかで判断される

・天職の概念

各人の職業を自分の義務として感じていることこそが、資本主義の各構成員にとって大事。

大量現象として資本主義の精神が出現した。

資本主義の精神とはここでは暫定的に”正当な利潤を組織的かつ合理的に職業として追い求めようとする心構え”のことと定義される

・この状況で問うべきこと

なぜ、どのようにして天職概念が生まれ、根付いたのか。

ルターの天職の概念 研究の課題

ドイツ語のべルーフberuf 英語のコーリングcallingなどプロテスタントが主流の国では、天職という意味の単語が存在する

それはなぜか。ルターのシラ書翻訳が影響を与えているから。

・天職とは宗教改革が作り上げた新しい概念である。

”神に喜ばれる唯一の方法は、(中略)各人の生活における姿勢から生まれた世俗内的な義務の遂行こそが、その人の召命(ベルーフ)であるとみなされるようになった”(p143)

こうした天職のように仕事を義務としてこなす姿勢が、のちの近代資本主義の発展と大いに関係するのは間違いない。ところがルター自身は、伝統主義と呼ばれる態度と決別することができなかった。

そこでわれわれは天職の概念を持ち続けて働き続けたカルヴィニズムと、その他のピューリタンの諸派について研究を進める。

カルヴィニズムやピューリタン諸派にとって、天職を遂行するのに最も大事なのは”魂の救済”ということだった。

魂が救済されると当人たちが思ったからこそ、天職を生涯の仕事として一生懸命やりとげる態度が生まれたのだった。

・注意点

この研究は宗教改革の思想を評価するものではない。

また唯物論的歴史観にのっとった研究でもない。

・研究の順番

①宗教的な信仰の形式と職業倫理のあいだに「選択的親和性」はあるか否か。あるとすれば、どこまでかかわっているかを調べる。

②選択的親和関係と宗教的な運動が物質的文化の発展にどう影響したかを見定める。

世俗内的禁欲の宗教的な基礎

世俗内的禁欲=積極的禁欲の4つの形態

①カルヴィニズム

②敬虔派

③メソジスト派

④再洗礼派

発生当初はどの形態においても、来世の思想なしに積極的禁欲を語ることができない

一つ一つの具体的な例を見ていくのではなく、理念系として宗教的な思想を掲示する

(これがウェーバー的な方法論でもある)

①カルヴァン派

人間のために神が存在するのではなく、神のために人間が存在するという予定説

ここから帰結されるのは、”ほかの誰も助けてくれない””神ですら助けることができない”

どうべきか。自分の行為のうちに救いの確証を求めるようになる。

つまり、現世を清く生き、感情的なものを排して理性的、計画的に生きて働くことのみが、神の栄誉を高めることができると考えられた

②敬虔派

真に回心した者たちだけで構成される「小教会」の出現

→世俗的な職業生活に留まって救いの確信を得ようとした

→厳密に禁欲的になっていった

敬虔派の出現によって、カルヴァン派以外の領域にも禁欲的な生活様式が登場した

③メソジスト派

遅咲きの花のため除外

④再洗礼派

<信じる者の教会>=再生した者たちだけで構成される”教団”

原始キリスト教的集団の復活

そのような集団では救われるためにはふさわしい行状が必要

そのため、良心にしたがった生き方と考えられる禁欲的な生き方が奨励される

禁欲と資本主義の精神

禁欲という原動力が資本主義の精神を生み出し、強化したという事実を確認する

・バクスターの時代

富の追及を第一にして行動することはピューリタンとしては間違いであると考えられていた。

ただし神の栄光を増すのにもっとも重要なのは行動であり、節約しながら効率よく職業生活をこなすのは良いことだと考えられた。」

労働とは神が人間の生活の自己目的として定めたものであった。

”ピューリタンにとっては職業は各人に与えられた神の命令であって、神の栄光のために働かなければならない”(p414)

職業や労働の内容はなんでもいいといったわけではなく、合理的な職業労働でなければならない。

・17世紀から18世紀へ

禁欲と天職という労働観によって、実業家にとっては利潤の追求こそ神の意志であるという考え方と、同時に労働者たる自由人にとっては倫理的な実直さと労働に価値をおく生活スタイルが醸成された。

両者が合致して資本主義は発展した。

ピューリタニズムのエートスは合理的で市民的な事業と労働の合理的な編成のエートスだった。

禁欲という手段で節制を強制しながら、資本が形成され続ける。

17世紀が終わり、18世紀に入って禁欲という原動力は消滅し、資本主義の精神のみが現代的な形で残る。

本書全体を通して

Ⅰ M.ウェーバーの主張(要約)

本書は宗教改革がもたらした二つの概念、天職(仕事)と積極的禁欲とを中心とした、資本主義の発展に関する社会学的かつ歴史的研究である。積極的禁欲という概念は一見、資本主義と全く関係がないように見える。ところが天職(仕事)という宗教的な概念がピューリタンたちに根付き、人々がせっせと労働をし始めると、当然ながら人々のところに財がたまる。積極的禁欲を信奉するピューリタンたちはこの財を浪費させることは神の罪であると考え、たまった財(つまり資本)を投資に回し、より大きな資本を形成した。今日まで続く資本主義だが、その原動力として17世紀に働いたのは間違いなく積極的禁欲という人々に根付いた宗教的な概念であった。ところが18世紀を過ぎていくにつれ、禁欲という理想(精神)は失われ、資本主義の仕組みと精神のみが残るようになってしまった。ウェーバーが本書を執筆した20世紀から1世紀後、つまり今われわれが生きている21世紀になると、末人(もともとはニーチェの概念。終わりの人。健康と快の追求を重視し、仕事などに理想をもたずにただ生きるだけの人)たちにとっては次の言葉が真理になってしまう。“「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無に等しい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう。」”(p494)

Ⅱ われわれが学びうること

20世紀初頭に書かれた社会学の古典として定評のあるドイツの社会学者M.ウェーバーの主著の一つからわれわれが学びうることとは何か。決して読みやすいとは言えない本書だが、それでも天職と積極的禁欲の歴史的ルーツの検討と、天職、積極的禁欲があわさって資本主義の精神を生み出したことを指摘する着眼点の深さなど論ずるべきところはいくつでもあるが、わたしがもっとも意義深いと思うのはずばり「天職」つまり仕事という概念の移り変わりと資本主義における仕事の重要性だ。なるほど今日的な仕事の概念は、直接的には西欧キリスト教文化圏における宗教的な概念がルーツになっているのかもしれない。おそらくそれは確かだ。しかしそれにもかかわらず、仕事は、資本主義はおろか宗教改革やさらにはキリスト教以前の昔からあったものであるのも確かだ。仕事というものは今もあるし、未来にも人間が補助的になるとしてもなお存在し続けるものだ。そして資本主義もどんなに危機がきても、当面の間は続くだろう。過去も未来も、そして今も、仕事は形を変えることはあってもなくなることはない。そういうことを前提とすると、仕事をすることに誇りを持ち、仕事をすることで自己成長を引き出し、仕事に主体的になれるかどうかが結局その人自身の人生の質を高めることに違いない。

Ⅲ わたしがこの本を読んで意識して改善すること

このような大著(約500頁)を読んでさらに書評を書くとなると、それだけで大変ではある。しかし読んでいる最中は解像度の高い人間の生きざまを記した部分と、解像度の低い人類全体の話の遠近法的な描写を楽しめたとも思うので、興味があればぜひあなたにも読んでほしい。

この本を読んで私がなすことは、“精神のない専門家、魂のない享楽的な人間”にならないこと、つまり精神のある専門家、魂のある規律的な人間になることを意識的に取り組んでいきたい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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