人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

社会学について14〜ルーマンの社会学

2018/05/02
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今回はルーマンの社会学について見ていきましょう。

ルーマンの社会学

ニクラス・ルーマンはドイツの行政官としてのキャリアを積んだのち、ハーバード大学でパーソンズに学びました。ルーマンはパーソンズの機械論的システム論を批判しながら、システム自らが自らを生み出す自己算出的なシステム論を展開しました。

社会システム論

ルーマンの描く社会はデュルケムが考えたような有機的連帯によって結びついた社会でもなければ、パーソンズが主張するような共通価値に基づくような社会でもありません。可変的かつ流動的ではありますが、システムと呼べるまとまりがある社会です。理論生物学で提示されたオートポイエシスを社会学的に発展させたのがルーマンの社会です。

マトゥラーナとヴァレラ(オートポイエシスの提唱者)は神経システムが外界の刺激に反応する際、システム内部に外界の刺激を再構成してその刺激に反応することを発見しました。つまりシステムは外部との接続能力を手がかりに、その構成要素を内部に再生産します。こうした自己産出をオートポイエシスといいます。

パーソンズの社会システムはサイバネティックスやホメオスタシスの影響を受けていました。サイバネティックスとはそれまで異なるとされていた有機体と機械を情報のフィードバックによる自動制御システムとして統一的にとらえる考え方です。このサイバネティックスでは、システムがサブシステムからなる階層的構造がしばしば想定されます。ホメオスタシスとは、生物の体温が一定に保たれるように、生理的状態を安定的に維持する性質(恒常性)のことです。

パーソンズの社会システムが下位システムから成る階層的な構造を持つのに対し、ルーマンの社会システムは環境と相互補完的、相互浸透的な関係にあり、システム間の階層性はありません。またパーソンズではシステムの構成要素とシステム全体を対立して見ていますが、ルーマンが持ち出したオートポイエシスの議論は要素のあり方がシステムのあり方に依存し、システムのあり方が要素のあり方に依存するという循環的な関係を前提にしています。

複雑性の縮減

近代的自我を図式化してみよう。デカルトが「我思う、故に我あり」と語ったということは、デカルトの頭の中に自己を決める自己としての小人を想定してもいいのです。そうなると、その小人の頭の中にも小人がいて、、、ということになりますが、実際にはそういうことにはなりません。これをアシュビィの逆説といいます。

アシュビィの逆説がわれわれに教えることは、制御する自己と制御される自己は完全に同じにならないということです。つまり自己産出というオートポイエシスは自己の中に自己をコピーすることではありません。

ではなぜシステムは外部の要素と似た要素を内部に作るのでしょうか。ルーマンはその理由を「複雑性の縮減」という概念で説明しました。

複雑性の縮減とはそこで生じる事柄や選択肢の数をあらかじめ少なくしておくことです。システムは選択の幅を少なくすることによってシステムであり続けるとルーマンは説明します。

システムは外部と同じものを内部に作るのではなく、選択肢の数を少なくして作ります。なぜならば、世界は複雑性に満ちており、個人では選択不能な状態になってしまうからです。したがって、何かが「複雑性の縮減」という課題を引き受ける必要があります。その何かとは、社会システムだというわけです。

この複雑性の差異がシステムと環境との境界を作ります。環境にはシステム内部以上の複雑性があり、システム内部では複雑性は縮減されます。しかし選択肢が少なくなりすぎると選択が限られてしまうので、適度な複雑性が維持されなければなりません。

ダブルコンティンジェンシー論

ルーマンはダブルコンティンジェンシーについてホッブズ問題の解決を価値基準にもとめたパーソンズの理論を文化決定論として批判しました。パーソンズの理論では、説明されるべき価値合意があらかじめ前提になっていて、価値を生み出す文化的伝統の形成はどのようにして起きるか説明できないと言います。

ルーマンは社会的行為以外に個体的行為を想定し、社会的行為は個体的行為にも支えられているというオートポイエシス的発想を取り入れます。さらに個体的行為は他者の個体的行為や社会的行為にも影響されるので、予想外の創発的な結果を生み出すこともあるのです。

ここにおいて二重の不確定性が複雑性の縮減に役立つ一方、創発の母体となって文化的伝統を作り出すことも説明できます。したがって二重依存問題が社会の創発的秩序に役立つというポジティブな解釈が生まれます。ルーマン位よれば、自己の決定が偶然であっても他者から見れば情報として価値があり、そのことを手掛かりに相互作用が開始されることになります。

現象学的社会学の機能主義的応用

ルーマンは社会システムの構成要素について個人ではなくコミュニケーションだと捉えましたこれはルーマンがシュッツの現象学的社会学をシステム論に取り入れた結果であり、パーソンズがシステムの議論を個人あるいは個人の行為から始めたのとはチア賞的です。

会話(言語的コミュニケーション)が成立するのは、会話が続く間だけで、それは会話をすることに意味がある限り続きます。なぜなら会話は会話自体が根拠となって、自分を支えている自己産出的システムだからです。

この自己産出的コミュニケーションは会話だけではなく、貨幣を使う経済的コミュニケーションとしても存在し、さらに法律や政治、教育や医療などさまざまな場面でも複雑性を縮減できる限り存続します。その際、その複雑性の縮減を担うのが「意味」です、この意味は社会は主観的意味づけの世界として存在するというシュッツの見方に通じます。他方で意味を持つということはシステムにとって機能している根拠となるのです。

まとめ

システムが複雑性の縮減をもたらすとは斬新な発想です。たしかに我々は環境のもつ複雑性をそのまま見にうければ生きることすらままならないでしょう。実によくできた視点だと思います。

我々の無限に近いと感じる複雑性も、システムによって緩和されているわけですね。感謝です。

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