孤人と親密性ー個人化の行きつく果てを社会学的に見てみよう
どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。暑い日が続きますね。あなたも体調を崩すことなく、健康にも気をつけて日々を暮らしてください。
前回は社会学を学ぶ上での注意点を見ていきました。『Do!ソシオロジー』という書物を大いに参照して前回は書きましたが、今回も同じです。前回のページを読んでいない方はぜひ読んでくださいね。
親密性とは
現代を生きる若者の多くは、自らのうちに閉じこもることなく、他者と一緒にいるよう努めているのです。つまり親密性を求めて、他者とつながっているということです。社会学の古典理論では、個人が孤立化して組織や集団と対峙するという未来を危惧していました。ところが、経済の分野などではそのようになった部分もあるものの、社会の他の部分では親密な関係性を求める傾向はむしろ強くなっているように感じられます。
まず古典理論が示した社会の類型と個人のあり方として想定された形についてみていきましょう。
社会学の古典理論における個人と社会
テンニースとC.H.クーリーの社会類型論
ドイツの社会学者テンニースは自然に生成するゲマインシャフトに、人為的に構成されたゲゼルシャフトを対置させました。C.H.クーリーは対面的・親密的な第1次集団と非対面的・匿名的な第2次集団とを対比させました。ゲマインシャフトや第1次集団は家族や仲間など伝統社会における関係であるのに対して、ゲゼルシャフトおよび第2次集団は大企業など、近代社会に多くみられる関係なのです。そして社会学の創始者たちは、基礎集団たる前者が衰退し、機能集団たる後者の重要性が高くなりつつある状況から、その問題点をえぐり出しました。
簡単にいうと次のようなことです。基礎集団であるゲマインシャフトや第1次集団は衰退し続け、機能集団であるゲゼルシャフトや第2次集団が支配的な社会類型となり、個人間のつながりは希薄になり、やがて個人個人が機能集団やその他の大きな政治組織などと対峙しなければならなくなると考えたのです。
伝統的な関係性と現在の関係性の特徴
ところが社会学者の創始者たちの予想を裏切って、親密性それ自身が消え去ることはありませんでした。血縁や地縁などが弱まっても、なお親密性自体を求める傾向は続いたのです。そうはいっても、親密性の性質は変化しています。
まず伝統的な関係性としては、血縁や地縁など全体的に関わらざるを得ない関係性・親密性が挙げられます。簡単にいえば、抜けられない分、濃い関係をイメージすればいいでしょう。
現在、今の関係性としては、絆を部分的に限定した関係性・親密性が通常です。人生のあらゆる分野で関わるのは家族くらいで、近隣や他の集団での親密性はある絆に限られる、ということです。
親密性の中身を考察してきましたが、次は第2の近代における孤人と親密性というテーマで踏み込んで考えてみましょう。
孤人と親密性
バーガーの考え
第2の近代が実態として把握される以前に、アメリカの現象学的社会学者P.L.バーガーは第2の近代に近い考え方を掲示していました。簡単にいうと、次のような考えです。近代化が進行すると、公的領域が高度に抽象化、匿名化される。その結果、公的領域は人々の実生活から乖離して実感を伴わないものとなる、と考えました。
対して私的領域においては、他者との関わり自体は弱まり、過度に個人的なものとなる、と指摘しました。
ベックの第2の近代論
個人化の進行をより明確に議論したのがU.ベックです。ベックは、近代初期においては、産業社会には社会的・集合的に安定した階級や核家族などがあると捉えられており、産業社会はじつは「近代的な身分社会」であると考えました。ところがこの最後の「身分」が解体し、すべての行為責任が個人へと帰属するようになると、人々は個人として制度・市場と対峙する必要があるようになったのです。
近代初期を第1の近代、身分社会が解体される現代の状況を第2の近代と呼びましょう。
第2の近代では、理性的な懐疑は自ら自身をも疑うようになります。つまり、伝統的な事柄だけでなく、合理的な考えや力までも信じられなくなったわけです。その結果、社会的な事象への信憑性がゆらいで孤立した個人ばかりが残ったのです。
孤立した個人こそが、キーワードとした「孤人」です。第1の近代における個人化を「個人主義化」ということにすれば、第2の近代における個人化を「孤人化」と呼ぶこともできるでしょう。
すべての事象が懐疑の対象となる時代ですから、アイデンティティーを長期的に保持するのも大変難しい時代だというわけです。
孤人化への現代的な対処法
孤人化への現代的な対処法は2つあります。それぞれみていきましょう。- 抽象的なカテゴリーへの準拠
- 身近な関係性に身を委ねる
2の身近な関係性が、まさしく現代的な親密性だということができます。友人と一緒にいることで、一体感を得るのです。
ギデンズの「純粋な関係性」論
ギデンズは今日的な親密性を「純粋な関係性」と呼びました。この純粋な関係性は、既存の文化や制度、集団などに依存せずに自律的に当の関係性のみを志向する関係です。とても純粋な目的で関係性が成り立ちます。ところが、つながりをささえるのは 誠意や真正性のみであるため、この関係はとても不安定であるとも言っています。親密性の問題点
内輪の人に対してだけ優しく、外の人には厳しいという問題点が考えらます。共通点がある人だけが親密であり、共通点がない人に対しては厳しくあたるというわけです。SNS時代となり、ますますこの傾向は強くなったと言えるのではないかな、とも思います。排他性が強く、寛容性が低いという問題です。まとめと学び
今日ではいたるところで親密性が氾濫しています。この正体を見極めるには、第2の近代がすべてに懐疑の目を向けている状況を把握し、そこでバラバラにされた個人が抽象的なカテゴリーや身近な関係性に身を委ねることで、一時的なつながりをえて安心しようとする傾向が見られるのです。第2の近代では、孤人化しているがゆえに、アイデンティティーの保持も難しいのです。SNSが発達した現在では、オンラインサロン・オンラインコミュニティのようなある共通点を持った人々の集まりがあります。SNSにより、それまで共通点があってもなかなか繋がれない個人どうしが繋がれるようにはなり、活動などを一緒に行うことも多くなりました。その点では親密性概念がまた変容しているともいえるでしょうが、排他性が強くなった感は拭い去れないでしょう。
ここから学べることは、あらゆる種類の連帯にはプラス面とマイナス面があるということです。それぞれを見極めて最も良い繋がりを作り出していくしかないでしょう。
以上が今回のブログの内容です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。