人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

職業を選ぶという一つの社会学的試練−自己実現と生きづらさ

 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
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どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。前回は個人化が進む社会でも、親密性が求められるのはなぜか、ということを考えてきました。まだ見ていない方はリンクを貼っておきますので、ぜひ見てみてください。

さて、今回は主に大学生が職業を選ぶという一つの出来事にまつわる話を社会学的な視点から見ていきます。前回の記事と同様『Do!ソシオロジー』を大いに参照しています。

この記事から学べるポイントは以下の3つです。
  1. 職業の選択には社会的制約を受ける
  2. 社会的制約の一つが教育である
  3. 誰もが自己実現できる人間を目指す教育は、産業界の求める人材像と一致する
では、早速見ていきましょう。

教育の普及とその背後にある自由と平等の概念

職業選択の社会的制約

大学生や高校生などの若者が自分の職業を何にするか思い描く時、全く自由に思い描くことはありえません。実は、自分の希望と自分の希望の実現可能性を両方考慮に入れて、自分の最も適した職業を思い描くことになるのです。何がその若者の希望を形作ったのか、希望の実現可能性を測るときにどんな判断が行われているのか。その際に根拠とする知識や情報はなんなのか。これを探ることで、個人を超えた社会的制約の影響があることがわかります。

モラトリアムと職業選択

学校にいる間は職業についていなくてもよい、という見方、つまりモラトリアムが余裕のある社会では存在します。このモラトリアムという言葉は、心理学者E・エリクソンが使い始めた言葉で、社会が豊かになり、大人になるまで試行錯誤が許される猶予期間を多くの若者が享受できるようになったことを現代ではさします。

ところが現在では、仕事の内容・働き方も含めた職業を選択することは、人生にとって重要な意味があると考えられています。これは職業を通じた「自己実現」という見方の影響です。

まとめると、現在では若者が大学生活を送る際に職業についていなくても大丈夫な期間、モラトリアムが存在するけれども、モラトリアムを経過した後、自己実現できる職業を選ばなければならないという圧力があるというわけです。さらに自己実現できる職業を選ばないといけないという規範が、焦りや不安を若者に与えています。

教育、平等、自由

子供が成長し、学習し、人生の決断をする。その際に深く関わってきたのが、教育です。

誰にでも等しいチャンスを与えたいという気持ちは、機会の平等という考え方です。教育を誰にでも平等に行き渡らせることが近代世界で起こったことでした。

加えて、生まれたばかりの子供が何にでもなれる自由があり、それを保証するという意味での自由の尊重という考え方も平等と同時に大事にされてきた考え方です。

選択の自由と機会の平等という二つの基本原理を尊重することで、近代の教育は拡大を遂げてきました。その過程で学校が作られ、学校の普及が図られました。

戦後の日本の教育改革もその一つの例です。小学校6年間と中学校3年間の義務教育が整備され、ほぼ同じ内容の教育を誰もが受けることができるようになりました。

日本の教育のある問題点

日本の教育は画一性を重視した結果、小中学校の間は子供達を能力や成績によって区別し、異なる教育を与えることは差別的だとみなす考え方が教育界では支持され、特別科を作ることはしなかった問題点があります。

子供達が差別感を感じることがないように配慮した考え方でそのような状況になってしまったのです。

その結果、学力偏差値のような単一な尺度で受験の際の選抜の基準が測られることになってしまいました。

上記のような状況がありましたが、ゆとり教育として知られる個性尊重の教育改革でどういうことが起きたでしょうか。考えていきましょう。

ゆとり教育における自己実現と産業界の要請

ゆとり教育における自己実現の重視

「教育は子どもたちの『自分探しの旅』を抜ける営み」であるという教育観から、個性尊重の教育、子供達一人ひとりの関心・意欲を重視する教育改革がなされました。いわゆるゆとり教育です。

この教育改革に共通する方向性は、「自己」の重視です。自己を基点において、自ら進んで自分自身を高めていく自己というものが、ここでは前提になっています。誰もが自己実現を目指す教育に転換されたといってもいいでしょう。

産業界の要請する人物像

新自由主義における人物像、つまり一人ひとりの能力を高めて各個人に選択の機会を与えると同時に、選択した結果を個人の責任に帰そうとする人物像と、教育が掲げた人物像はほぼ一致します。

問題発見・解決能力、コミュニケーション能力、自己開発力、自ら学ぶ力など産業界で重視されるキーワードは、教育改革でも同じように重視されました。

ここで自己責任と自己選択がセットで語られるようになりました。

生きづらさの正体

若者たちにとっての生きにくさの正体とは、実は教育界と産業界の両方で自己実現できる人物像が理想とされていることである。自分で選んで、何にでもなれる自分を作り上げることは、心理学者マズローの自己実現欲求の意味です。この際、マズローが念頭においていたのは一部の成功者だけで、自己実現欲求の段階に達する人は人口の1%とかそういったイメージだったのです。ところが、現在の教育ではだれもがそれを求められるようになってしまった。

時代的な要請はあるとはいえ、それまで求められてこなかったものが、求められるようになったのが、生きづらさの一つの正体なのです。

読書案内

マズロー『完全なる人間』

『完全なる人間 魂のめざすもの』

マズローの著作。人間性の心理学を説明した名著です。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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