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社会学について3 社会学の成立期

2018/01/28
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今日も社会学について考えてまいりましょう。今日は社会学の成立期について、です。

社会学の成立期

タルドの社会学

タルドは社会学者として特に「模倣」というキーワードで有名です。この「模倣」について考えていきましょう。

模倣

模倣は他人の真似を意図的にすることですが、タルドの模倣は「精神間で生じる写真撮影」のようなもので、意図的でない無意識な模倣も含んでいます。

タルドは模倣と同様に「発明」という概念も重視します。ここでタルドのいう「発明」は模倣の対象として模倣されるべきもののことで、たとえそれが大したことがないものでも、「発明」として捉えられます。

タルドは社会的なものは、この変化が模倣される過程で生まれると考えました。さらにタルドはこの発明ですら模倣の結果であるとも考えています。頭の中の出会いによって生じる発明は、すでにある既存のアイデアの新しい組み合わせであり、その既存のものは模倣してできたものです。

ここでいうタルドの「模倣」には、子供が成長する社会化の過程、ファッションの流行現象、過去の時代から引き継がれた習慣などを含みます。このようにタルドはあらゆる社会現象を模倣に還元できると考えて、「社会は模倣である」とまで言い切ったのです

ここでは、タルドの視点が「差異から類似」へ向かっています。対してデュルケムは「類似から差異」へという視点の移動を行うのです。

模倣の法則

タルドは、科学とは規則性をもって繰り返し起きる現象について考察することと考え、その代表的な反復現象として「模倣の法則」を説きました。

タルドによると、模倣は論理的影響により条件にあった発明が伝わる場合と、超論理的影響によって伝わる場合があります。前者は馬車から汽車へ、汽車から電車へとイノベーションが起こる場合です。

一方後者の超論理的影響では、模倣は人間の「内部から外部へ」とさらに社会の「上層から下層へ」ち進むとタルドは説きます。心が先で、外的要因が後だ、ということです。

いずれにせよ、心が動かなければ模倣は始まらないというのがタルドの心理学主義もしくは心理学的社会学を象徴している言葉です。

デュルケムの社会学

デュルケムは、社会学を独自の研究対象と方法論をもつ社会科学として確立することに努め、宗教や自殺、アノミーなどさまざまな社会現象を解明しようとしました。

社会学主義

デュルケムは社会現象について、政治学や政治学、心理学とは別の社会学独自の方法で解明することを主張しました。これは、社会学独自の方法をベースとしてさまざまな社会現象を科学的に説明しようとするいう立場で、社会学主義と呼ばれます。

デュルケムの社会学の根拠には、「社会的事実」と「集合表象」という概念があります。デュルケムの社会学は社会的事実を研究する学問です。また、デュルケムは「社会実在論」を支持しましたが、社会が実在しているからこそ科学的研究の対象になるわけで、社会的実在の根拠は社会的事実です。つまり、社会学主義と社会実在論と社会的事実はデュルケム社会学においては三位一体といえます。

社会的事実

デュルケムは社会は個人の心理に還元されない事実として存在していると考えました。そして、こうした外在的で拘束的な社会現象を社会的事実と呼びました。以下で社会的事実について①外在性、②拘束性、③一般性という三つの特徴をあげます。

①外在性

社会的事実は、個人にとっては生まれる前からあるという既存性に通じ、個人が死んだ後も受け継がれるという永続性とも解釈できます。たとえば言語や貨幣などは確実に外在性があると言える。

②拘束性

社会的事実は個人の外側にありながら内側から拘束するもので、社会が個人を支配しているような構図を持つという意味で、社会の優越性(支配性)に通じます。法律や宗教などは、拘束性がありますが、それでも社会に優位性があります。

③一般性(客観性)

人口、人口密度、出生率、離婚率、自殺率などの集合的な指標から読み取れる集団に特有の一般的な特質がある場合は、それらも社会的事実であるとデュルケムは考えました。

集合表象、集合意識

集合表象とは、ある社会集団の中で共通に認識され、個人に内面化されている象徴のことを言います。表象とは、「感覚や記憶や創造などによって生じるイメージ」と言った意味です。神話、民話、思想、偏見などはその集団に属している人々が共通して認識している表象を持っていると考えられます。このように、個人とは別に集団レベルで存在する表象をデュルケムは集合表象と呼びました。

集合表象とほぼ同じ意味で使われるのが集合意識です。のちに集合意識は社会意識の一つの形態として使われます。

自殺論

デュルケムは自殺の原因を分析し、社会的規範のもつ統合力と規制力の強弱に基づいて自殺の類型化を行いました。

デュルケムは社会的連帯の強さと自殺率の高低は関係があると考えました。

ここで重要なのは、個人の個々の事情から自殺を考えたのではなく、社会の側から自殺の原因を分析し、個人の属している社会の有様が影響するとした点です。

アノミー論

アノミーとは社会的な統合が失われて混沌とした状態になることです。社会の連帯性や統合力がなくなった状態で規範による拘束が弱くなり、規制がなくなって社会が無秩序状態になる危惧がデュルケムにはありましたが、この無秩序状態、無規制状態がアノミーです。

分業論

分業がほとんどない社会では、強い集合意識によって連帯しています。諸個人は強力な伝統や慣習に縛られていて、それらに反する行為は犯罪として罰せられます。こうした伝統的社会の構成員は集合意識と個人意識が媒介物なしに直接結びついていて、個人は無機物の分子のように無個性で固有の運動をもちません。そうした無機物の結合は「機械」のようであるため、機械的連帯と呼びます。そして、そのような機械的連帯にも続いて同質の氏族が連合するような社会を環節的社会と呼びました。

ところが社会が発展し、個人が個性的になり、専門能力を高めて異質な存在になると、集合意識によって個々人をコントロールできなくなります。だからこそ、別の連帯が必要になり生じます。このような異質な成員が個性を生かしながら連帯していく結合状態を、デュルケムは有機的連帯と呼びました。このような異質な諸機能が結合する社会を組織型社会、または有機的社会と呼びます。

ここで大事なのは、デュルケムが分業は人々を孤立させるのではなく、むしろ関係性を高めて結合を強固にするものだと捉えているところです、

デュルケムの宗教論

デュルケムは「聖と俗」に二分割して宗教的世界を説明しようとしました。これが「聖俗二分法」で、聖と俗の両者は質的にまったく相容れないもので、両者はタブー(禁止)によって厳しく隔てられます。

そしてこの聖の源泉こそが宗教であり、宗教とは聖なる世界と俗なる世界から分離する信念と行事との連帯的な体系であると言います。

ウェーバーの社会学

ウェーバーはドイツの産業化が進展する中で近代化の根本的な原理を「合理性」に求め、官僚制や科学的方法論を論じました。そして、社会学のさまざまな分野に大きな影響を与えました。

方法論的個人主義と主観的意味世界

ウェーバーは歴史的な発展や社会現象は、個々人の社会的行為から生み出されると考えました。この点で、ウェーバーは方法論的個人主義の立場にたちます。とはいえ、タルドのような理由でこの立場に立ったわけではなく、個人の行為は経験的に観測でき、理解が可能だからという理由で方法論的個人主義の立場にウェーバーは立っているのです。

ウェーバーは社会学においては観察者自身が、対象者である人間の動機を理解できるという点に着目しました。社会学では、人間行為を解明する際に、対象である人間の同期も理解できるので、外的状況を観察すると同時に内的な動機を理解することで、因果関係を一層明確に説明できるとウェーバーは考えました。

理解社会学

ウェーバーのこのような社会学の捉え方は、研究対象の理解の可能性に着目し、社旗的行為の理解を通じて社会を解明していくものなので、こうした社会学のあり方を理解社会学と呼びます。

理解社会学とは、個人の主観的意味を理解することでその行為を理解しようとする社会学です。主観的意味とは、当人の持つ動機などです。

理解社会学では、研究者は、当事者の理解に即して行為を記述しなければならないと考えます。そのためにウェーバーは、この理解社会学を成立させる基礎的な方法として、「価値自由」と「理念型」という概念を持ち出します。

価値自由

価値自由とは、存在するものを取り扱う事実判断と、存在すべきものを取り扱う価値判断とを区別するために、両者に影響を与えている理念を明確にすることによって、逆に勝ちから自由になるという科学的態度のことです。とはいえ、価値自由とは価値を捨てるべきだというわけではなく、自分の価値判断とうまく距離を置くべきだということを言っているのです。

ウェーバーの理解社会学では、主観的意味をどのように再構築するかが重要で、そのために、観察者の内面に立ち入って、そこに内在する人間の目で見なければなりませんが、その際にその視点を持っている自分を見ている外的な他者の視点ももっておかなければいけません。

そこでウェーバーは、特定の価値に従って一面的に選択した「理念型」というアイデアを設定し、それを一つの尺度として現実を理解するという逆説的なアプローチを取りました。これが理念型です。

理念型

理念型は、研究者が自分の問題意識にしたがって社会現象を類型化したもので、研究者が構築するものだから、一種の人為的な虚構です。理念型とは、複雑な現実社会を理解するために、特定の視点から切り取っていく作業であり、その作業の中で内的に矛盾がないものとして再構成されたものです。

ウェーバーは理念型を用いながら、価値自由の研究態度に基づいて、因果関係を丁寧に検証していくことで、多様な歴史や社会現象を開映できると考えました。つあり、ウェーバーにおける価値自由とは、研究者が抗争する理念型の存在を認めた上で、それに対しても開かれた態度で客観的に接する科学的態度です。

社会的行為の4類型

①目的合理的行為

人は行動の結果を予想し、何らかの目的との関係を合理的に行動するものです。この場合、目的が意識されているのだから、結果が重視されやすいのです。また、誰もが共通に合理的と判断する動機に結びつきやすいので普遍性があります。

②価値合理的行為

道徳的、宗教的、美的その他の価値に基づく行為です。この場合、正しいことや善いことと思って行うので、行為そのものに価値があります。そのためその結果は目的合理的行為に比べて重視されません。特定の価値を共有する人々にとって合理的と受け止められるとはいえ、その価値を持たない人々にとっては合理的判断と認められないから、その範囲も目的合理的行為より狭いといえます。

③感情的行為

行為の対象となる他者にたいして復讐の気持ちをもったり、服従する気持ちをもったり、という感情に起因して行うもので、意識的に明確な目標をもたない非合理的行為といえます。

④伝統的行為

昔から続いてきたやり方に従って、無意識的または習慣的に反応する行為のことです。

支配の3類型

ウェーバーは他人の意志に反しても自分の意志を貫くことができるようなすべての可能背を権力と定義し、権力はあらゆる社会的な場面に存在すると考えました。その上で、支配という概念については、権力の正統性が相手に受け入れられるときに安定すると考え、正統性を根拠づける方法によって、以下の3つの類型を示しました。

①伝統的支配

伝統や宗教的な権威に基づく支配類型で、この伝統的行為は、さらに封建制とか家産制の類型に分けられます。

②カリスマ的支配

支配者の人格や素質に基づく支配類型で、支配が永続化して後継者の問題が生じてくると、伝統的支配や合理的支配へと移行します。

③合理的支配

法律や規則、制度など形式的な手続きで定められた権限は正しいとする支配類型で、権限はピラミッド型に配置され、行政官は規則に対して服従します。最も典型的な例は近代官僚制に見られます。

ウェーバーは伝統的支配とカリスマ的支配は前近代的な社会に見られるが、合理的支配は近代社会になって生まれてきたと考えました。その意味でウェーバーの支配社会学は「伝統的支配から合理的支配へ」という社会変動論につながっています。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ウェーバーはプロテスタントの世俗内禁欲やカルヴァンの予定説的な職業観が、資本主義に必要なエートスを生み出した、と主張しました。

ウェーバーによれば、予定説を天職に励むことを使命ととらえるプロテスタントは、宗教的エートスに従った禁欲的生活を送り、勤勉に働いて得た利益を無駄遣いすることなく節約しました。こうした勤勉、規律、禁欲、節約を旨とするプロテスタンティズムの精神が経済活動を活発化させ、持続的な労働と蓄財を必要とする資本主義を生み出したとウェーバーは考えました。

ウェーバーは資本が資本を生むという構図を、個人レベルの禁欲や節約という行為に求めました。そして、節約の結果生み出された財産が個人的な贅沢に使われずに次の生産活動に振り向けられたときに、富が資本となる資本主義が生まれたと説明したのです。

方法論上の立場

方法論的個人主義とは、社会を単一的な実在とはみなさず、社会の構成要素である個人から成ると考え、個人から出発して社会全体を明らかにしようとするものです。タルドは模倣の法則で社会を説明しようとしましたが、その出発点は発明や模倣をする個人です。ウェーバーも支配を説明する場合も資本主義を説明する場合も個人の行為から出発したという点で方法論的個人主義の立場に立っています。

方法論的集団主義とは、全体は構成要素に還元することができないという立場で、全体は部分の総和とは別に超個人的存在として実在していると考えます。コントやスペンサー、デュルケムがこの立場です。

ジンメルは、個人も社会もそれ自体で存在する固定的実体ではなく、どちらもたえざる相互作用と変化によって存在するものと考えました。この立場は個人と個人との関係に社会の本質をみようとする考え方で、方法論的関係主義とも呼ばれます。

総評

今回は古典社会学と呼ばれながらも、今なお様々な研究者に影響を与えているデュルケムやウェーバーの理論の骨格を見ることができました。どの方法が正しいかすぐに結論を出すことは難しいですが、社会のことを考察する上でとても大事なことをデュルケムにしろ、ウェーバーにしろ言っています。ぼくが特に影響を受けたのは、デュルケムの社会分業論です。このデュルケムの論文では、社会的連帯の変質は分業を指標に見ることができ、さらに独特な法律の二分法、復原法と抑止法の分類を行って分業が発達した社会ほど復原法が多くなり、抑止法の割合が減るのは、人間の個性が発揮されるということと密接な関係があるというデュルケムの指摘は、法を独自の視点から分類して研究に生かすなど視点の動かし方がすごい人だとただ驚いたのを覚えています。加えてウェーバーの大作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、脚注で素晴らしい解説をしているところなども含め、社会学的研究のすばらしさとユニークさに感動しました。

あなたもこの機会にぜひデュルケムやウェーバーを読んで見てください!

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