社会学について1
どうも、哲学エヴァンジェリストです。久々の投稿を昨日しました。まとまった時間が取れなくなってきているので、前ほどシリーズもので書くのが難しくなっており、これからは日々学んだことや気づいたことをこのブログに気軽に書いていきたいなと思っております。今日は社会学について学んだのでそのことについて書いていきましょう。底本は井原久光著『社会人のための社会学入門』です。
社会学と視点
視点とは何か
例えば日食のことを考えましょう。日食が起こった時、日食グラスをかけて見上げるのは「地球人の目」です。別に、日食を理解するには「宇宙人の目」が必要になります。視点とは「見る」ことを「分かる」ことに変えるために不可欠なものなのです。視点を変えることで理解を促進することができるわけです。
視点を作り出す4つのポイント
①どこから見るか、を考える
見る人の立ち位置と深く関係するのがこのポイント。どこから見るか、ということは場所を変えてやれば見え方も違って気づくことがあるはずです。
②どこを見るか、を考える
見る人の着眼点が問われる。どこを見ることで観察対象の本質を見抜けるか、研究では特に大事になってきます。
③分けて見てみる
ものごとを分離して理解する視点を持とう。理解にはジャンプが必要であり、そのための境界線を引く作業がこの分けて見るということです。
④視点を動してみる
いつも視点を動かしながら、研究体質の本質を探る。固定的、静的に見るのも必要なことがあるが、流動的、動的に見るのが必要なこともあるということですね。
社会学とは
経験科学かつ、社会科学。実証主義と経験主義
フランスの啓蒙思想家たちが継承した実証主義とは、実証、つまり観察された事実によって明らかにすること以外を認めない立場です。対して、イギリスの思想家が主張した経験主義とは、直接経験によって確証を得たもの以外を認めない立場です。
実証主義は、生得観念(人間が生まれながらにもっている観念)を認め、理性を最高の原理とする大陸合理論にルーツがあります。
経験主義は、フランシス・ベーコンの帰納法の重視というところにルーツを見出すことができます。
両者を区分すると、実証すぎは照明を必要としないアプリオリを認めるのに対し、経験主義は生得観念を認めず、経験を絶対とします。
社会学がどちらかという議論は難しいですが、両方の影響を受けて成り立っている学問であるのは間違いありません。
社会科学の特徴
自然科学と異なる社会科学の特徴①自然科学に比べて実験室で行うような実験が難しい
②社会学は科学者自身が人間であるため、主体と客体を分離して観察することが難しい
③科学者から見て同じ現象が、異なる動機や理由から生じるために法則性を確定しにくい
社会現象
社会学の研究対象とは、ずばり社会現象のことだが、これは通常の社会科学が研究対象とする社会よりも幅が広く、人文学が対象とする思想や文化、言語まで研究対象を社会学は広げている。そこに社会学のユニークさと困難があります。社会学独自の研究対象
社会学独自の研究対象とは、「社会」そのものです。社会名目論と社会実在論
フランスの社会学者ガブリエル・タルドは、社会は個々人の寄せ集めで、個人の頭の中にあるので、究極的に社会は名目的で、個人のみが実在すると考えました。このような考え方を社会名目論といいます。これに対し、同時代のフランスの社会学者エミール・デュルケムは社会とは個人を超越した存在で、個人とは別に、個人には還元されないものとして実在していると考えました。こうした考え方を社会実在論と言います。
この議論を突き詰めると、循環的に話がつかなくなるのが誰でも自明なため、深く立ち入る人はほとんどいません。「個人が先か、社会が先か」という議論は「卵が先か、鶏が先か」の議論と同じで解決が非常に難しいからです。
感動した名言
本書で特に感動したのが次の引用文。社会学の問いは、「社会とは何か」という問いかけが「自分とは何か」とか「人生とはなんのためにあるのか」という本質的な問いに直結しているので、安易な回答を用意することができない。本質的な問いは、答えを引き出すためにあるのではなく、問いを通じて、より深く考えるためにあるものである。
この引用は、哲学や他の人文科学全体でも言える名言だと思います。