「気付き」に至らせる方法:法華経のメッセージ
こんにちは!
草の根平和推進者、平高橋聡です。
みなさんは仏教の「悟り」とは何か考えたことがありますか。
これは、「気付く」ことと関係があります。
または「目覚める」と言っても間違いではないでしょう。
法華経という仏教でも重要な仏典から、
あなたを気付かせるメッセージを取り出します。
妙法蓮華経如来寿量品第十六 一八~二三
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世の知恵の力はこのように光り輝き、その際限はない。
世の寿命も長く、無限の劫のあいだ続く。
余は前世の所業を果たして、この寿命を得たのだ。
賢き人々よ、この点について疑うではない。
疑う心を残らず捨てよ。
余はこの真実の言葉を語る。
余の言葉は未だかつて偽りではないのだ。
巧みな手段を用いて、かの医者が意識の転倒した息子たちのために、
自分が生きているにもかかわらず死んだと言ったとしても、
判断力のある人は、かの医者を嘘つきと非難しないであろう。
余は世間の父、みずから存在して、一切の人間の庇護者であり医者である。
愚かな者たちの意識が転倒して、判断力を失ったことを知り、
入滅しないで入滅したと見せるのだ。
それはなぜか。
余がいつも姿を現わしていることにより、
理性なく無知な人々は信じなくなり、
愛欲に狂い、快楽のために不幸な境遇に落ちるであろう。
しかし、余は絶えず世間の人々のあれこれの行為を知り、
『どのようにして、かれらに「さとり」を導こうか。
どのようにして、かれらに仏の教えを得させようか』
と考えて、世間の人々に、それぞれに語るのだ。
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あなたは、真実を語る存在と出会ったことがありますか。
そうした存在に出合ったら、疑う心を残らず捨てることも
しないといけないときがあるかもしれません。
あなたは、自分の大事な人が亡くなっていたら、
完全に無になって、死んだとお思いですか。
そうではなく、あなたの大事の人はいまだ人の中に生きているのです。
あなたの信じる人がいつも姿を人の心の中に
とどめているのは、なんとかあなたを救うためなのです。
だから、あなたの信じる人が死んでも、
現実に死んでいないと気付くことが、
「さとり」という気付きなのです。
宗教的信念がからむので、
これ以上は深くいいません。
でも、現に今あなたの周りにいる人すべてが
将来の仏であり、
またあなたの周りにあるもの存在すべても、
すべて仏の性をもっています。
だから、仏の教えとは、そういうすべての存在への感謝が
大事になるのです。
以上、平高橋聡でした。