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サンデルの美徳型正義論/コミュニタリアニズム |正義論

2021/09/01
 
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どうもこんばんは、高橋聡です。だいぶ暑さも落ちついてまいりました。今回は、サンデルの美徳型正義論であるコミュニタリアニズムについて考えたいと思います。
その前に前回の記事について少し見ていきましょう。

前回の記事|ロールズの自由型正義論

前回はロールズの契約論的議論からはじまる自由型正義論についてみてきました。正義の二原理として、平等な基本的自由の原理、格差原理と公正な機会均等原理が無知のベールのもとでは必要とされるから、正義もこれと関わりのあるはずのものだ、という議論でしたね。次にリンクを貼っておきます。

まだ呼んでいない方、ロールズの自由型正義論について復習したい方は読んでくださいね。

正義論の古典的源流アリストテレス

美徳型正義論はアリストテレスに源泉をもっていて、正義は「目的」により成立するという議論をアリストテレスは行います。帰結主義である功利主義から義務論・権利論の自由系思想を経て、議論は目的論へとたどっていきます。制度や生き方をそれらの目的から考えるという発想が目的論であり、善や美徳と関係しています。

アリストテレスの正義論の考え方

アリストテレスの正義論の特徴を要約すると次の表現となる。(『サンデルの政治哲学』p80から引用)

1.正義は目的論的である。権利を定義するためには、当該の社会的実践のテロス(目的、目標、本質的性格)を考える必要がある

2.正義論は名誉に関わる。ある実践のテロスを論じることは、少なくとも部分的には、「その実践が名誉を与え、報いるべき美徳は何か」を論じることである

この二つの特徴をまとめると、目的から見て美徳を持つことが名誉であり、正義と関係します。アリストテレスの正義論は「目的」と「美徳」の二つの要素が存在して、正義とは適性の問題だといいます。適性のあるもっともふさわしいものを与えるのが正義なのです。つまり正義とは、各人にふさわしいもので、その人に値するものを与えることです。

サンデルの限定された目的論

アリストテレスは自然や世界全体の目的も考えていますが、サンデルは社会制度の目的に議論をしぼります。こうしてサンデルは、間の行為に限定した目的論を展開するのです。

アリストテレスの考えでは、政治的共同体(ポリス)の目的がわかれば、ある政治的権力の分配の正義の問題にも道しるべが与えられます。政治的共同体の目的は善い人格の形成、市民の美徳を高めること、善き人生を実現することなどです。そして地位や名誉の分配の正義には、徳の高い人がふさわしい役割を得るべきだと考えたのです。つまり、正義とは適性の問題で、美徳や卓越性を備えた者が、それにふさわしい役割を与えられなければならないというのです。

アリストテレスは人間はポリス(政治的共同体)の一員として生き、その人間の幸福とは美徳に基づく魂の活動だといいます。美徳を身につけるには、「習うより慣れろ」というふうに実践して、「実践的美徳」を得て、それによる判断ができるようにすることがアリストテレスが理想としたものです。

奴隷制と目的論

アリストテレスなどのギリシャの哲学者に対して、奴隷制を擁護したという批判があり、リベラリズムの立場から「目的論は自由を侵すのではないか」という点を批判の論拠にされることがあります。しかしサンデルはアリストテレスの適性正義論を紹介して、目的論、適正性議論の観点からみても奴隷制が間違いで不正義だ、という論理を主張します。
アリストテレスは奴隷制が正義に適うためには、社会における必要性と、奴隷にふさわしい人がいるという二条件が必要だと言っています。アリストテレスは生まれつき奴隷にふさわしい人たちがいると考えていました。しかし、アテネの奴隷の多くは戦争に負けて奴隷になった人びとなので、生まれながら奴隷にふさわしい者ではないとアリストテレスは考えていました。この点で不適合が生じているため、適合性の観点からいって奴隷制事態、不正義なのです。目的論は自由を抑圧するわけではない、とサンデルは言っています。

共通善の政治

サンデルは自身の政治の理想を「共通善の政治」と呼んでいます。そこでは、「1 公民性、犠牲、奉仕」。「2 市場の道徳的限界」、「3 不平等、連帯、公民的美徳」、「4 道徳に関与する政治」」があります。1では公民性の問題としてコミュニティ感覚を養うために、コミュニティ全体への配慮や

通善への献身を人びとの中に培う必要があるといいます。そして、人びとの心の習慣が大事であり、善き生は公共的な美徳として認められる必要があるといいます。
2では兵役や代理母、臓器売買など、以前は市場以外の基準が用いられていた領域で市場の論理を用いることが増えてきているので、「市場の道徳的限界」について公に論じる必要があるといいます。
3では不平等の拡大で、豊かな人と貧しい人がますます異なった生き方をするようになって、公共的領域が空洞化してしまうので、連帯とコミュニティ意識を育むのがむずかしくなります。そこで公民的な生活基盤を再構築する必要性があります。コミュニティにおける連帯をよみがえらせて、公民的美徳を復活し更新していくこともまた必要だとサンデルはいいます。そうしたことが成し遂げられれば、共通善のための分配の正義を実現することが可能になるでしょう。
4では、政治において道徳的問題や宗教的問題を回避することなく、正しい社会を実現するために道徳的問題を公共の場で議論、討論することで、様々な考え方について互いに尊重しつつ、道徳に関与する政治を行う必要性をサンデルは説きます。
共通善の政治のビジョンはこの4つに集約されます。この部分はサンデルの公共哲学の要約だといってもいいでしょう。

以上、今回はロールズの美徳型正義論について解説してきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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