どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日は朝は寒く、昼間は暑いくらいの気温でした。厚着になってきているから温度が上がると暑いですね。困ったもんです、全く。みなさんも体調を崩さないように気を付けてお過ごしください。
さて前回は宗教改革についてみていきました。以下の記事がそうです。
今回は近代哲学編についに突入しちゃいます。哲学の王道、近代哲学!デカルト、ライプニッツ、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲル!わくわくしちゃいます。今回は「知は力なり」で知られるイギリスの哲学者フランシス・ベーコンについて見ていきましょう。
ベーコンの生涯
フランシス・ベーコン(1561-1626)はイギリス経験論の祖で近代哲学の大成者として知られています。エリザベス女王に仕えた父とピューリタンの母のもとに生まれ、厳しく育てられました。40歳をすぎて政治家として活躍するも、収賄罪で摘発され公務から退きます。主著『ノヴム・オルガヌム』はアリストテレスの『オルガノン』の次をいく、新しい科学と認識方法を打ち立てようとしました。とくに古い認識を打ち破り真の認識にたどり着こうとするイドラに関する考察は、現代の偏見論、バイアス論の先駆けといえるものです。これについてはのちに述べるとして、ベーコンは帰納法の提唱者としても知られています。帰納法とは、経験的な事実を集めて、その抽象化を行い、抽象的な事実や法則などの結論を導き出そうとする方法だと考えてください。たとえば、ケプラーは天動説だと仮定すると、火星の軌道にどうしても出る誤差を見つけ、ガリレイも天動説では説明できない木星の衛星や金星の望遠鏡からの見え方などから地動説が正しいことを導き出していました。これは完全に経験的な事実に基づいて法則を説明するものですから、帰納法的な方法です。帰納法に対する方法は演繹法です。演繹法は普遍的な事実から結論を導き出す方法です。帰納法はイギリス経験論で特に重視され、演繹法は大陸合理論で重視されました。
ベーコンの考える知のあり方
name="CmUl">ベーコンは「知は力なり」といったことで有名です。この言葉の意味は、知識は目的ではなく、手段として用いることで人間にとって力となる、ということです。さらに、知識は現実生活を生き抜く力だと考え、知識の現実的側面を重視しました。だから新しい科学や認識が重要だ、とベーコンは言うわけです。実際ベーコンの時代には新しい科学と呼ばれるものの片鱗が見え始めたころでしたが、彼の実際的な知に対する考え方はニュートンの物理学思想に結実すると言っていいでしょう。そのうえでも、思想史上とても重要な人物であることは間違いありません。この「知は力なり」という思想とも関連することですが、知識は全人類の幸福のためにあるものだと考えたベーコンは、知識が「自然」を支配するものでないといけないとも言っています。そのように自然を支配するためには、人間は自然の真理に従って自然を見つめ、自然の法則を知る必要があることをベーコンは指摘しています。
こうしたベーコンの全人類の幸福のための知識っていう考え方はのちの功利主義的な考え方とも相通ずるところがあります。さらに自然を支配するための自然科学が存在するっていうのも、ベーコンの考え方をベースにしたものでしょう。
前節で帰納法について述べましたが、帰納法を提唱したベーコンは当然、実験や観察を重視しました。仮説を立ててその仮説を検証をするという姿勢は、ベーコンの重視した実験や観察によって生まれた考え方です。
これだけのアイデアを出したベーコンですから、当然経験論の祖だけではなく、近代哲学の大成者という評価も間違いないでしょう。後世に与えた影響はデカルトと並んでとても大きいものです。
4つのイドラ
name="1DJy">イドラとは偶像や幻影のことで、英語ではidolといいます。自然現象の原因や結果を正しく認識するために迷信や偏見などを捨てて、人間自身が観察や実験を行う必要があるとベーコンは『ノヴム・オルガヌム』で説いています。ベーコンの知識論も重要ですが、ぼく個人としてベーコンが唱えた考え方で一番好きなのがこのイドラ論です。こうした迷信や偏見、空想などをベーコンは4種類に分類しました。そして、これが4つのイドラであって、人間はこうしたイドラを極力排除するべきだとベーコンは主張しました。4つのイドラは以下の通り。
・種族のイドラ
・洞窟のイドラ
・市場のイドラ
・劇場のイドラ
種族のイドラは感覚器官を備えるすべての人間に共通の錯覚です。つまり人間という種族に固有の幻影という意味です。
ベーコンの言葉を直接引用してみましょう。
人間の知性は、一度こうだと考えきめたからには、他のすべてのことをも、それを支持し、それに合致するようにする。(『ノヴム・オルガヌム』第一巻四六)
今日の心理学でいう確証バイアスという言葉がぴったり当てはまります。つまり、自分に都合のいい情報ばかりを集めるような偏見をさします。正常性バイアスもここに入るかもしれません。
洞窟のイドラは個人的立場にとらわれることによって生まれる偏見などのことです。真理を知ろうとせずに洞窟の中に籠って自分の狭い考え方に縛られている洞窟にいる囚人が各個人なのです。当然それぞれ考えることは違います。でも所詮、光に当たらず暗闇の中で考えられたものでしかなく、真実は見えていないのです。保守性というバイアスがここに含まれるかもしれません。
name="4DVm">市場のイドラは、不適切な言葉の使用から生じる偏見です。たとえば学術用語や専門用語がわからず、間違った使い方をすることを考えてみてください。しかもその間違った使い方がわかっているふりをしていたら大変厄介な問題です。間違った言語使用、嘘といえる情報が市場で出回り、結果、真実がみえなくなるのです。総意誤認効果などがここに含まれるでしょう。
最後の劇場のイドラ。これは権威を信じ込んでしまうことから生じる誤謬です。中世にはスコラ学などがありましたが、スコラ学を教会の権威をもつから信じるとか、そういう態度は劇場のイドラですね。公正世界誤謬とかここに近いかもしれませんね。
当然今のバイアス論とは分類方法が違うため、すべてのバイアスがここに属するだろう、などということはできません。だいたいのバイアスが二つ以上のイドラの特性を持ち合わせているといっていいでしょう。それでも、ベーコンは独自の方法で偏見やバイアスを分類して見せたのがすごいところであり、面白い独特の考え方だと思います。
ベーコンについてのまとめ
ベーコンって意外とカントやヘーゲルに与えた影響が大きいと勝手に思っています。イドラ論は仮象論や現象学の先駆けともいえるものです。とくに純粋理性批判と『ノヴム・オルガヌム』は認識について扱っているだけあって、共通点は多いんじゃないかな、と感じました。
近代哲学の一つの極、経験論の祖フランシス・ベーコンはフランスの啓蒙思想家ディドロなどにも影響を与えたと言われています。ベーコン全集はフランスでルソーやディドロ、ダランベールなどが活躍した時代にフランス語訳されていて、フランス人に愛されたと言われています。
以上、ベーコンについてみてきました。次回はついに、ついにあのデカルト平面の、「われ思うゆえにわれあり」の、かの『方法序説』の、フランスの哲学者ルネ・デカルトです。
name="ymjj">以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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