人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

社会学者エミール・デュルケームという人とたかはしさとしという存在

2021/05/13
 
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日は在宅で仕事をやり、新しい仕事にも慣れてきて余裕が出てきました。明日からは淀屋橋のオフィスに出勤です。実は来週から完全に新しい仕事が始まるので、そちらに向けて気持ちを切り替えていきたいと思っています。でも新しいことができるってなんて幸せなんだろう。だって、仕事でも学びうることがたくさんあるってことですから。

社会学者エミール・デュルケーム

今日の記事は社会学者エミール・デュルケームという人とその作品について社会学者でない方向けにデュルケームの紹介記事を書こうと思います。学者の紹介記事ってありそうであんまりないですね。WikiPediaを参照にするのが一番はやいですが、とにかくぼくから見たデュルケームって人の大事なところとか、おもしろいところとかを挙げられたらなと思います。

デュルケームの誕生と軌跡

エミール・デュルケーム(Émile Durkheim)は、1858年4月15日フランスのロレーヌ地方でユダヤ人家庭に生まれました。デュルケームが成人する1880年ごろから、ヨーロッパ全土にて反ユダヤ人運動や反ユダヤ人思想が広まっていきます。そういった反ユダヤの流れが広まった大きな理由として、ユダヤ人が金権政治の擁護者だと考えられたためです。

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name=”IqSSM”>デュルケームは高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)に入学し、「メタフィジシャン(哲学者・形而上学者)」とあだ名されました。なんでも理屈を通そうとするまじめな学生として生徒からも先生からも知られていたからです。リセ(日本でいう高校)で哲学教師を務めたのち、1887年に社会学の祖といえるエスピナスからボルドー大学に招かれました。同大学で、1896年に念願となるフランス最初の社会学講座を設置することに成功しました。デュルケームはすぐれた教師として大学で知られていましたが、当然今日フランスの社会学の基礎を作った人物として知られているとおり、研究者としても名声が高くなりました。1898年に社会学雑誌『社会学年報』を創刊し、デュルケームとデュルケームの考え方に共鳴する仲間が集って、「社会学主義」を標ぼうとしたサークルが作られました。デュルケミアン(デュルケム主義者)と周りから呼ばれるほど結束の強い集団でした。1902年、フランスの最高学府の一つであるパリ大学ソルボンヌ校に移りました。

デュルケームは生涯、政治論争には参加しませんでした。しかしフランス第三共和政の欠点に気を留め、その改善策を考えようとしていた節があります。アノミー状態(無規制状態)を修正するため、社会統制が必要であることを強調し、国家と個々人の間にあるべき中間団体・中間組織の強化を図ろうとしました。つまり、デュルケムは結社の自由の回復を企てたといってもいいでしょう。

デュルケームには4つの主著があります。『社会分業論』『社会学的方法の基準』『自殺論』『宗教生活の基本形態』です。それぞれを取り上げてみていきましょう。

デュルケーム第一の主著『社会分業論』

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name=”47xMk”>社会学の確立を図ろうとしたデュルケームが最初に取り上げたのが”社会の規制が強まりつつある、つまり法律の数が増え続けているのに、個人の自由が増大するとはどういうことなのだろう”という問題です。つまりこの二つ(社会の規制と個人の自由のこと)がどういう関連になっているか、という問題意識がデュルケームは持ちつつ、『社会分業論』を執筆したのです。

第一の主著『社会分業論』は当時の学界で支配的だった社会「進化」の思想に従って、社会の連帯組織や統合原理に関する一種の発展段階説を説いたものです。デュルケームによると、人間社会は前近代的時代における「環節的社会」から近代的な高度文明社会(=「組織的社会」)へと発展する、と言います。環節的社会においては機械的連帯が重視され、相互に類似した氏族の連結が統合原理であって、地縁や血縁により互いに結ばれて、伝統が行動を支配しています。組織的社会においては有機的連帯が重視され、それぞれ自由な個人としてそれぞれ異なる職能、職業を営むようになって、分業の発達が見られます。デュルケームがこの二つの社会の段階発展において説明するツールが道徳の具体的な指標である法律です。この法律を刑罰的法律と復原的法律の二つに分けて考えるのです。

この発展段階説を明らかにすることによって、デュルケームは「道徳の科学」である社会学を樹立しようとしたわけです。デュルケームによると、道徳とは実現済みの諸事実の一体系かつ世界の全体に結び付いたものです。つまり、道徳的実在とはまさしく社会のことであって、社会学の確立を本書で狙ったわけです。

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name=”oa3uT”>『社会分業論』でぼくが面白いなと思った部分は多々あるのですが、一番気に入っているのはやはり最初に挙げた”社会の規制と個人の自由”が正の相関にあるのを説明する箇所です。社会の規制、つまり法律は増大するのですが、社会が発展進化すると、刑罰的法律の数は変わらないか、むしろ減少します。ところが、復原的法律の数は圧倒的に増えます。復原的法律とは、受けた損害を補償してもとに戻す法律のことをさします。人間の平等化が進んでくれば来るほど損害を補填する機会は増えますし、平等化が進めば進むほど王や貴族に独占されていた自由が社会全体の人民にいきわたります。さらに産業が発展することで自由が促進され、職種が増えればいろんな場面で損害を補填するような復原的法律が必要とされます。個人の自由の増大と法律の増加というのは、実は密接に関連する出来事であることをデュルケームは本書で明らかにしました。

あとこれを読んでいる人に知っておいてほしい社会学用語”アノミー”も本書で登場します。アノミーとは、もとは神の立法の無視といった意味で、デュルケームは転じてこの語を無規制状態を指す言葉として用いています。この記事読んだらここだけは覚えておいてくださいね。

『社会学的方法の規準』

デュルケームによれば、社会学は客観的で冷厳ンああらゆる価値判断から離れた学問でなければなりません。そこで執筆されたのが『社会学的方法の規準』という著書でございます。

この書ではまず、社会学における認識態度として、あらゆる社会現象を物としてみる必要がある、と説きます。

この言葉が当時のフランス社会科学学界に大論争を引き起こしました。見えないものを物として扱うってどういうこと?ってぼくも思う節があります。でもデュルケームは次の通りです。

社会学が取り扱う社会的事実とはもろもろの制度だ。

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name=”cDPtL”>そして制度とは、個人意識に対して外在的で、かつ個人意識に対して拘束力を持つ行動や思考の様式のことなんです。制度っていうことばがわかりづらかったら、制度を文化っていう言葉に置き換えて考えてみてください。そうすれば多少わかりやすいです。

そうした制度としての社会的事実には「正常的」と「病理的」の区別があり、病理的とはある社会にとって例外的な事象であって、さらにその社会の存続にとって危険な現象をさす、と言います。

社会的事実の説明を行うのは、社会学だ、とデュルケームは言います。心理学的には何ら有効性を持ちえないんだ、とデュルケームは指摘しています。

この本、読んでみたんですがはっきりいうとちんぷんかんぷんな部分が多いです。よって、ぼくもあんまり影響を受けていないのが本当のところです。ただ制度の説明には比較を用いるしかないと指摘しているところは、同意せざるをえないところがあります。

『自殺論』

『自殺論』において、デュルケムは社会学的方法を用いて自殺に関する独特の理論を展開しました。そして、社会学的方法の独自性とその運用の有効性を学界に知らしめるべく書かれた本でもあります。

従来、自殺の傾向の社会の違いには、非社会的要因が考えられてきました。それは誤りだ、とデュルケームは言います。自殺という現象を正しく説明するには、社会的要因による社会学的説明が必要だ、と言います。自殺を引き起こす社会的要因によって、自殺は三つ、あるいは四つのタイプに区別されます。

ただここでは全種類挙げてこれはどうとか説明することはしません。

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name=”aVc3Y”>デュルケームによると、自殺はどの社会でも見られる正常的な現象です。しかし社会の構造が変わらないのに自殺率や犯罪率が急増するのは病理的現象だ、とも指摘します。この病理的状態を改善して正常的状態に戻そうとするのがデュルケームの意図したところでした。

さてこの自殺の急増に対する対処法は何が有効だとデュルケームは考えましたか。

自殺に対する罰則でしょうか。でも死にたいと思っている人に、自殺したら死後が貶められる罰則などなんの意味も持ちえません。

では教育でしょうか?教育は社会の反映に過ぎないため、ほとんど期待することができない、とデュルケームは指摘します。

残るはより強力な連帯性を作り出すという方法です。これをデュルケームは正解だと考えました。職能集団の再建と強化、ギルドの近代化、公的機関化が必要だと説きました。

本書においてぼくが感じたのは、独自に現象をカテゴライズしてそれを統計的資料を解読するのに使うデュルケームの巧みさです。様々なものを分類して整理するっていうのは、社会学においてもとても大事なことです。

『宗教生活の基本形態』

『宗教生活の基本形態』において、デュルケームはオーストラリアの原住民のトーテム信仰に関するデータを用いながら、宗教の本質、起源、機能についての考察を論じたものです。

デュルケームによれば、宗教の本質はいっさいの事象を「聖」と「俗」の二つのカテゴリーに分類して、聖なるものに対する信仰や行事に関する特別な社会集団を形成するところにある、と言います。これが世にいう聖俗二元論です。魔術(呪術)は、特別な社会集団を作る共同社会と信者の統合体を欠きます。

宗教は人々の共同生活を規制し、人々に道徳的な価値観を与えるゆえに発生し、存続しました。神もまた社会の産物だ、とデュルケームは言います。

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name=”chxZc”>本書は、文献資料を駆使しながら、宗教の本質を探ろうとする大著です。ぼくはこの著作から学んだことといえば、社会現象は宗教現象であり、同時に宗教現象は社会現象であるということです。つまり社会と宗教は切っても切れない関係にあり、社会あるところに宗教あり、宗教あるところに社会がある関係となっているということです。

まとめ

このように、デュルケームは社会学で活躍した人です。でも後の時代の人に機能主義の祖として仰がれることもあるデュルケームは、社会学だけではなく文化人類学や民族学に大きな影響を残しました。

ぼくが彼、エミール・デュルケームから学んだことは、知的誠実性というものです。努力によって知を積み上げていく姿勢といってもいいでしょう。

最後になりますが、これは覚えておいてください。アノミーとは、無規制状態を指すんだよ、ということを。

初の試みになる学者紹介シリーズ、書くの結構疲れますね。

それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
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Comment

  1. なかのひと より:

    たかはしさん 僕も社会学や民俗学、宗教に興味があるので、この記事とても面白かったです。アノミーについて教えてください。
    >アノミーとは、もとは神の立法の無視といった意味で、デュルケームは転じてこの語を無規制状態を指す
    とありますが、これは無政府状態(アナーキー、 anarchy)とは別の概念なのでしょうか。
    >宗教は人々の共同生活を規制し、人々に道徳的な価値観を与えるゆえに発生し、存続しました。神もまた社会の産物だ
    >社会現象は宗教現象であり、同時に宗教現象は社会現象であるということです。つまり社会と宗教は切っても切れない関係にあり、社会あるところに宗教あり、宗教あるところに社会がある関係
    社会と宗教の関係はとても興味深いです。今のロシア政府も正教的な価値観をロシア国民の連帯に利用しようと言う意図があります。ソ連時代は建前は無神論でしたが、スターリンはイスラム教の民族をソ連国内に囲い込むために一定程度の宗教的な妥協をしていました。それが今日のアゼルバイジャンとアルメニアのようなコーカサス地域の問題を抱える遠因となってしまったわけですが、、、いずれにしても興味深いトピックです!
    —–COMMENT:
    なかのひとさん
    社会学とてもおもしろいですよね!宗教学や文化人類学も同様です。
    アノミーとアナーキーとは明確に区別されます。類似点といえばアナーキーもアノミーも語源を古代ギリシャ語まで遡ることができると言うことでしょうか。
    アナーキーといえばまず思い出すのは、プルードンかと思います。このプルードンは社会主義者ではありますが、支配者がいない社会を作ろうといった男だと押さえておけばよいでしょう。支配者となる、国家やその他のいかなる体制もいらんというのが端的に言うとアナーキーという状態です。
    対してアノミーは、あくまでも無規制ということです。この場合、規制とは法律やそれに準ずるもの、つまり政令や条例などによる特に社会生活に必要な規制を念頭に置いたものです。
    つまり、社会生活に必要な法律による規制がない状態がアノミーです。
    —–COMMENT:
    社会生活に必要な規制は、例えば交通に関する法律による規制を思い描くと良いでしょう。法律により交通ルールの無視をすることが規制されるのです。
    ところが、すべての交通法規の不在により、交通事情が荒れて事故による死者も多発する例があるとすれば、これがまさしくアノミー、もしくはアノミー状態というものです。
    違いは分かっていただけましたでしょうか?
    アナーキーは支配者の不在、アノミーは必要な規制をする法律の不在を指す概念だと考えるとわかりやすいと思います!
    —–COMMENT:
    たかはしさん コメントありがとうございます!2つの違いを理解できました。
    上で紹介されている本では「宗教生活の基本形態」がとても面白そうです。kindle版もあるようなので近いうちに読んでみます。

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