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社会学について10〜ブルーマーとゴフマンの社会学

2018/02/23
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今日はシンボリック相互作用論で有名なブルーマーと社会を演劇の劇場に例えたゴフマンの社会学について見ていきましょう!

ブルーマーの社会学

ハーバード・ブルーマーはバークら指導を受けた後、カリフォルニア大学バークレー校に映ったシカゴ学派第三世代に属する研究者です。

シンボリック相互作用論

ブルーマーは社会がすでに確立された秩序と合意によって成立しているというパーソンズの考え方に反対します。ブルーマーは人間は意味世界に生きており、その意味は絶えず変化しているという流動的な社会観をもって、構造的な社会観に反対しました。

ブルーマーはミードの理論を発展させました。①人間は物事が自分とってもつ意味に基づいて行動する、②その意味は社会的相互作用から生じる、③意味はその解釈過程を通じて修正される、という3つの前提に立ちます。行為は意味に基づいてなされ、意味は他者との相互作用で作られ、解釈されるというのです。

この場合、意味は言葉や身振りなどのシンボル(象徴)を通じて伝えられ、受け止められ、解釈されます。したがって人はシンボリックなレベルで相互作用を繰り返し、社会はそのような相互作用から成り立っていると考えられます。このため、こうした視点に立つ研究をシンボリック相互作用論と呼ぶようになりました。

プラグマティズムの行為論

シンボリック相互作用論では、上位世界について社会的相互作用を通じて絶えず変化する意味世界であると位置付けています。このような行為についての概念は行為を「刺激ー反応」のメカニズムと考える伝統的な行動心理学を批判的に発展させたミードの発想に見られます。

さらにそのルーツはミードが影響を受けたプラグマティズムに求められます。プラグマティズムとは行為は思想の一環で、それ自体が全体的なまとまりと考えます。思想が生成されるように、行為も社会のリアリティも、生成の過程として絶えず変化するという立場です。

経験的方法論

シンボリック相互作用論のもう一つの特徴は、徹底した経験的方法論を志向していることです。ここでいう経験とは我々を取り巻く日常的な社会のことで、あるがままの経験的世界を把握するのがブルーマーの経験的方法です。

経験的方法論とは、研究対象の世界に直接入り込むフィールド・スタディや対象者の側に立ちそこから世界を眺める参与観察など、シカゴ学派にとっての伝統的な調査手法と密接な関係があります。また、この経験的方法はあるがままの経験に基づいて日常的世界うぃ描き出そうという試みで、このような発想はゴフマンやガーフィンケル、ハーバーマス、ルーマンなどに引き継がれることになります。

ゴフマンの社会学

アーヴィング・ゴフマンはカナダのトロント大学からシカゴ大学へ移ると、ウォーナーのセミナーを受講しながら当時シカゴに来ていたK・バークの演劇論的モデルの影響を受けました。ゴフマンは初期のシカゴ学派研究者たちが生態学的な視点から都市の様相を取り上げたのに対し、もっと狭い日常生活に焦点を絞って、その秩序を演劇に例えて描き出そうとしました。

ドラマツルギー

ゴフマンは日常生活を演劇に例えました。個人が他者に影響を与えるあらゆる行為をパフォーマンス(演技)ととらえることで、社会的相互作用における自己と他者の関係を演技者と観客の関係に擬して分析しました。

ゴフマンの関心は、日常的に人と人が共に居合わせている社会の相互行為でした。ゴフマンによれば、社会は学校、企業、病院などの小社会(小領域)に区分され、この小社会に個人が出て行くときには、その小社会で求められている姿(役割期待)を演じなければならず、その際に必要な演出上の戦略をドラマツルギーと呼びました。

ドラマツルギーとは演出方法のことであり、日常生活を円滑に過ごすために人々が編み出した手法のことですが、社会的相互行為を演劇との類似関係に着目して説明しようとする演劇論的アプローチのことを指すこともあります。

演劇論的アプローチといっても、ゴフマンは日常世界をドラマチックに仕立てて見ることに興味があったわけではありません。日常的な相互行為の背後にある秩序をドラマツルギーという手法で浮かび上がらせようとしたわけです。

役割距離

ゴフマンは通常は権利と義務の関係として社会の側から定義される役割を個人の側から定義しました。つまり役割を状況の中で多くの人が行う「典型的な反応」として定義したのです。しかし実際の人々はこの役割通りに振る舞うとは限らず、しばしばその振る舞いは役割との間に距離を生むことがあります。こうしたずれのことをゴフマンは「役割距離」と呼びました。

この役割距離とは社会の側から期待されている「役割」と実際に行う「役割パフォーマンス」との間に生じる距離のことです。役割距離とは役割に収まりきらない自分、あるいは役割と外れている自分を表現してみせることでもあります。

ゴフマンによると、役割距離こそ役割にはまりきらない個性が見て取れる「自我のすみか」だと言います。

自己呈示

ゴフマンは役割を通じて行われている相互行為について、トマスの「状況の定義づけ」から発展させ、それを自己呈示と捉えました。

自己呈示とは自分が何者かを表現することです。それは人を欺く演技というよりは自然と表れるものです。自己啓示はあらゆる所作振る舞いにおよび、そこから滲み出るものです。

ゴフマンは人間は役割を演じる際に、その役割との距離を通じて個性を醸し出していると考えました。この役割距離はその人がその場の空気を読み、状況を定義づけることによって生じるものであり、状況定義は自己を呈示するものでもあると考えました。

ミクロ的秩序の論理

ゴフマンは社会の側から説明されて来た「役割」という概念を、個人の側から捉え直した点では、パーソンズの構造主義と対比することができます。

パーソンズは社会規範という共通価値にょって不安定な相互作用が解消するとして、社会の側から秩序の問題を説明するのに対して、ご不満は人々がまともな演技をすることで秩序が保たれているというミクロな側から説明を行います。

またパーソンズが規範や役割を守ることで秩序が成り立つというロボット的人間を想定するのに対して、ゴフマンは期待されている状況的役割と実際に演技する役割パフォーマンスとの間に一定の役割距離を置くことによって自己が定まり、役割の遂行も円滑になることを説明しようとしました。

そしてこのときの演技(パフォーマンス)には、自分を良く見せようとする目的以外に、他者のために気遣いがあることを発見し、儀礼という言葉で表現しました。非日常的世界では神に対して示される儀礼が日常世界では自他を尊重し、秩序を保つために示されるというのです。この事例として、ご不満は他人の領域を侵さないことを「回避儀礼」、適切な関心を示すことを「呈示儀礼」、他人の失敗を見てみぬ振りをすることを「儀礼的無関心」と呼びました。

まとめ

シカゴ学派の二人の議論は個人の側から社会をよく捉えていてとても参考になります。

我々が生きるのは意味世界であり、日常的な演劇世界であるのです。意味を感じなければ生きる価値はありませんし、演じることを振舞わなければ独裁者だらけとなってしまいます。

社会性とは案外本来の自分を別の自分に演じるところから生まれるのかもしれません。

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