人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

格言集1

 
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 実に信仰とは、ひとりひとりの人間が、それぞれ独立の立場において、厳密に同一の隘路に追い込まれることによって、獲得されるものだからである。
 
 自分自身が神から信ずる能力を受け取ること―それだけが信仰を獲得する道なのである。
―キルケゴール『哲学的断片』
人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。 ―キルケゴール『死にいたる病』
 
 全ての人は生来たがいに憎みあうものである。人は邪欲を公共の福祉に役立たせようとして、できるだけ利用した。だが、それは見せかけにすぎない、愛の虚像にすぎない。実のところ、それは憎しみにほかならないのだから。 ―パスカル『パンセ』
 気を紛らわすこと。
 人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。 ―パスカル『パンセ』
 幸福の秘訣とは次のようなものである。諸君の関心をできるだけ広くせよ。そして諸君の関心をひく事物や人々に対する諸君の反応をできるだけ敵対的でなく友好的にせよ。 ―ラッセル『いまでも幸福は得られるか』
 われわれは決して、現在の時に安住していない。われわれは未来を、それがくるのがおそすぎるかのように、その流れを早めるかのように、前から待ちわびている。あるいはまた過去を、それが早く行きすぎるので、とどめようとして、呼び返している。これは実に無分別なことであって、われわれは、自分のものでない前後の時のなかをさまよい、われわれのものであるただ一つの時について少しも考えないのである。これはまた実にむなしいことであって、われわれと何ものでもない前後の時を考え、存在するただ一つの時を考えないで逃がしているのである。というわけは、現在というものは、普通、われわれを傷つけるからである。それがわれわれを悲しませるので、われわれは、それをわれわれの目から隠すのである。そして、もしそれが楽しいものなら、われわれはそれが逃げるのを見て残念がる。われわれは現在を未来によって支えようと努め、われわれが到達するかどうかについては何の保証もない時のために、われわれの力の及ばない物事を按配しようと思うのである。―パスカル『パンセ』
 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、我々が満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
 ―パスカル『パンセ』

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