石川文康『カント入門』 第四章メモ1
1.ア・プリオリな総合判断
あらゆる認識は判断の形をとる。判断は主語と述語で構成され、その際判断は二種類に分類される。
分析判断…すでに主語概念に含まれている概念を述語としてもつ判断
総合判断…もともと主語概念には含まれない述語を、主語概念と結びつける判断
分析判断は原理的にすべてア・プリオリで、開明判断と呼ばれる。
総合判断は、新たな認識内容を付与する。そのため拡張判断とも呼ばれる。ほとんどの総合判断はア・ポステリオリである。
ではア・プリオリな総合判断はあるのか?
ある。空間と時間はア・プリオリな直観として与えられているから。
たとえば「直線は二点間の最短距離である」という命題は、ア・プリオリな総合判断である。(ショーペンハウアーの存在の根拠)
ア・プリオリな総合判断は、主語の分析によって述語が導出される命題でないから、基本的に証明不可能である。
ア・プリオリな総合判断は、若きカントを悩ませた証明不可能な根本真理の成長形態にほかならない。
2.純粋悟性概念―カテゴリー
カントによれば、人間の悟性(知性)もそれ固有の枠組みをもっていなければならない。それをカントは純粋悟性概念、あるいはカテゴリーと呼ぶ。空間・時間という窓口を通して与えられた素材が、カテゴリーによって処理されてはじめて、一定の意味ある認識が成立するのである。因果性もそのカテゴリーの代表例である。
「判断表」…定義不可能な根本概念の一表。十二のカテゴリーが発見された。悟性は現象や対象の差異に応じて、そのつど十二のカテゴリーのいずれかを組み合わせて、それらを把握する。
カントのア・プリオリとは、「根源的に獲得的」という意味である。それは、一切の先なる所有者を、また先なる根源を前提しない概念である。神からも経験からも派生しない概念であり、それは悟性がその自己活動によって悟性自身から獲得したという意味である。
カントが根本真理やカテゴリーに対して行った証明とは、広義の弁明(論証)にほかならない。一連の論証を遂行するにあたり、カントが樹立したのは自己意識の原理、すなわち「統覚」という不動の自我である。刻一刻と時間は流れ、それぞれ異なった意識を持とうと、その違いを認識できる自我があるはずである。そういった自我をカントは「根源的統覚」「超越論的統覚」と呼ぶ。同一性の根拠は「考える」という働きに求めなければならない。悟性は概念をもちいる能力であり、概念を用いることが思惟、「考える」ことである。そこからカントは統覚の総合的統一を、人間の認識の最高原理あるいは悟性使用の最高原理とする。
カテゴリーなしには、いかなる認識といかなる経験も成り立たない。