人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

『死にいたる病』緒言

 
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 「この病は死にいたらない」(ヨハネ11:4)しかしラザロは死んだ。
 キリスト教的な意味では、死は最後ではなく、「一切のものを包む永遠なる生命の内部における一つの出来事」にすぎない。「無限に多くの希望が死のうちにある」のだ。それゆえ、「キリスト教的な意味では、死でさえも「死にいたる病」ではない。」
 「キリスト教はキリスト者に、死をも含めて、一切の地上的なもの、この世的なものについて、このように超然と考えることを教えてきた。」だが、「キリスト教は人間が人間である限り知るにいたらない悲惨が現にあることを発見したのである。この悲惨が死にいたる病である。」とキルケゴールは述べる。
 キリスト教を学び取ったものだけが、「死にいたる病」を理解することができる。
 「死にいたる病」は、死んでなお、消えるものではない。どんな災難も、「死にいたる病」ではない。議論を先取りすると、「死にいたる病」とは「絶望」のことであり、またそれは「罪」である。「精神」を規定することができるキリスト教の文化圏でしか、これは理解できないのである。キリスト教的な「神」という概念なくして、あるいは「神」が地上に最も惨めな人間として降り、十字架の上に死んだという逆説を受け入れることなくして、「絶望」は理解されえない、キルケゴールはこう考えた。
 これについて、反対する意見もあろう。キリスト者でなくても、絶望は理解できるのではないか。しかし、キルケゴールによると、キリスト教的神の存在なくして、それは不可能なのである。
 そこでキリスト者でない我々はどのような方法を取ればよいか。キリスト者になってしまうのが一番はやいのかも知れないが、キリスト教的神の概要を知り、贖罪について知ること、これが重要であろう。そういったものを知る参考書として次の本を上げておこう。
http://mixi.jp/view_item.pl?id=1291726
 レビューはつけていないが良本である。キリスト教理解に必要なことはこの一冊でだいたい揃っているように思える。
 そうして知った神の概念を頭の中に留めておき、それを常に念頭に置きながらキルケゴールの著作に当たるのが良いと思う。

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