人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ジンメル 近代のずれ、生の葛藤 1

 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

 ジンメルは生の葛藤が発生する際の共通の逆説的メカニズムを描き出す。
主観と客観
 貨幣がより大きな価値を持ち、より多くの、あるいはより広範な人々に使われるようになると同時に、共同体意識は緩み、経済活動が技術的、即物的、客観的な性格を強める。個人と社会のつながりが希薄になるのである。
 だがしかし、ジンメルは貨幣による所有と人格の分離よって、「普遍的に人間的なるもの」も発生しえたと主張する。即物的、客観的世界から切り離された自我はより内面へと深く潜っていく。近代人の主観世界は、経済関係の脱人格化によって成立したというのだ。
 中世においては固定的であったものが、近代では流動的へとなっていく過程を示す例がある。土地に縛られていた農民が、土地を金銭に換えることを許された例がそれである。この例においては、土地からの解放という一種の自由を得ることになるが、同時にもとあった何かをうしなってしまう。何かというのは、「土地を所有していたからこそ有益な活動の可能性であり、関心の中心であり、人生の指針を定める生活の内実」だった。一種の自由と引き換えに、農民は「人格的活動の確固たる対象」が奪われたのである。
 そうして、社会は貨幣に依存するようになる。そうして貨幣の価値が高まれば高まるほど、物自身もまた、価値が切り下げられる。「多くのものと等しいものは、その中の最低のものと等しいのであり、それゆえ最高のものをも最低の水準へ引き下げる。こうした平均化は最低の要素を目指して一直線に落ちていくものであり、これこそあらゆる平均化のもつ悲劇だ」とジンメルは述べる。
 貨幣こそ近代人の無限に増幅せられる幸福欲求を生んだ。キリスト教が、神への欲求を魂の永続的状態にしたとシュライエルマッハが言うように、近代人においては貨幣への欲求が魂の永続的状態となった。そして「貨幣は神になった」!
 貨幣を考察するに当たっては、「記号」という側面から捉える必要があるように思われる。ジンメルは直接的にそういう考察はしていないが、ほとんど気付いていたようだ。さすがジンメル、である。モデルネという記号と組み合い、これを解きほぐそうとした人物でもあるので当然かもしれないが。
 貨幣が個人と社会のつながりを希薄にすると同時に、個人の主観世界を形作った、というのは重要な指摘だ。(あまり個人の主観世界については触れなかったが。)キルケゴールの水平化の議論はその一面だけを見たものにすぎないのか。

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

Comment

  1. 退会したユーザー より:

    久しぶりに面白い文章を読みました。
    ジンメルというのはよく知りませんでしたが、あの有名な「貨幣は神になった」と言った人だったのですか。
    資本主義というのは非常に合理的な反面、労働力の主体である人間自体を一個の商品のように脱人格化してしまう面はある気がしますね。マルクスの指摘みたいに。
    俺は好きですけどね、資本主義。人の温かみなんてそうそう感じたことないし、生きてやろうって思いますよ。歯車のひとつになってでも。

  2. たかはしさとし より:

     「貨幣は神になった」と文中にもありますけど、言い始めたのは誰か別人(の嘆き)みたいです。マルクスが初めかもしれません。
     資本主義の反人間的側面だけに注目しがちですけど、人間的側面を考えたら、やはり資本主義は必要なのだと思わざるを得ないです。社会主義は、個人の主観世界を潰そうとしましたしね。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2010 All Rights Reserved.