石川文康『カント入門』 第三章メモ1
理性批判の法廷モデル
アンチノミーは対立・係争のことであり、この対立の解決には法廷のやり方を駆使せねばならない。アンチノミーを解決するために、裁判官としてのより高い理性、批判的理性でなければならない。『純粋理性批判』を「真の法廷」と呼ぶのはそのような理由からである。
法廷において、まず一切の予断を排した公平な立場に開き、そこに立つ必要がある。判断停止、これはまさしく「エポケー」に他ならない。具体的にいうと、対立のうちどちらか一つが正しい、という前提をも疑うということである。どちらも正しい場合、どちらも間違っている場合が考えられるからである。
そして、対立を超えた第三者の立場を築くのである。テーゼとアンチテーゼを越えて、「ある」「ない」の多義性を吟味し、あらたに第三の値を措定する。
カントが示すアンチノミーは哲学的対立であり、第二章でみたように数学的方法では解決できない。その哲学的対立を解決するための方法が、法廷モデルである。
コペルニクス的転回
コペルニクスは天文学的仮象を見抜き、人々の考え方を180度転回させた。カントも同様に超越論的仮象を見抜き、人々の認識を180度転回させたのである。
われわれの認識が対象に従うのでなく、むしろ対象の方がわれわれの認識に従わなければならない
これは単なる主観主義などではない。
カントは通常客観的なものとされる、空間と時間の問題を取り上げる。空間と時間は、いわばこの世界そのもののありのままの姿を映し出す条件とされている。だが、そのような考え方がアンチノミーを引き起こすのである。そこで、空間と時間を主観的なものとして、捉えてみればどうであろうか。認識の対象をはじめに受け入れる窓口となるのは、感性であるから、空間と時間は感性の形式となる。かつ空間と時間がその意味でアプリオリだとすると、アプリオリで実質的な認識の可能性も保証される。
このように、空間と時間について客観的なものであるとされていたものを、主観的なものと転倒させることで、認識を転回させ、より合理的に考えられるようにするための方策が、カントのコペルニクス的転回の意図であった。