人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

自然、不自然、反自然

 
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1.自然の語義
 「自然」とは一体何であろうか。一見すると、自然とは自明のものだと思われる。しかしよくよく考えてみると、そう一筋縄にはいかない概念である。
 まず通時的には、自然は時代によって変化する歴史的概念だということである。日本に限定して考えても、古代の人々が考えた「自然」は八百万の神が存在するものであったし、中世の人々が考えた「自然」は密教信仰と繋がっていた。近世にしろ、近代にしろ「自然」の意味は大きく変わっていった。現代的な意味での「自然」が、当時の人々の「自然」という観念と大きく食い違うのは明らかだろう。だから現代から見て昔の人々の呪術的行動を例えば「超自然的行為」と言って片付けてしまうのは、大きな問題があるといえる。ひとつに、自然概念が未来にわたって変化する可能性があるという点と、もうひとつに、当時の自然概念からみて超自然的行為だとはいえない点、二つの点からそういえる。
 第二に共時的には、自然は個々人によって変化する個人的概念だということだ。ある人にとっては自然な行為も、他の人にとって不自然に移ることも多々ある。小さい点でいえば癖などがそうではないだろうか。さらに、同じ場所でも高齢者の人が自然と感じていることが、われわれにとっては不自然なことであったり、逆の場合もよくある。個人個人の考えが自然という概念に反映されるのだろう。
 第三に場所によっても変化する位置的概念だということである。日本で自然と考えられていることと、欧米で自然と考えられていることは違う。原初的生活を送っている民族などはどうであろうか。やはり変わってくる。
 このように、「自然」とは「その地域において、あるいはその時代において、言動にわざとらしさがないこと、また無理がないこと」を言うが、世界の全員はおろか、比較的近い存在である家族や友人においても完全に同じものは共有できないものである。この自然という概念は家族的類似性(※1)という性質を持つ。これだ!と一つの定義を与えて決められる規範のようなものではなく、緩やかな観念の連合体をなしているのである。
2.「自然である」という用法と正常概念
 何々について「自然である」という使い方を我々はする。これはほぼ、「正常である」という用法と同義である。だが、この正常という考え方が厄介なのだ。
 正常とはどのように形作られるのか。これこれが正常である、とは通常異常なものとの対比において大きな意味を持ってくるものである。いや、正常という概念は異常という概念がなければ、意味をなさないのだ。我々はどこかで正常/異常の線引きをすることで、正常の範疇を確立する。そして、そうすることによって、異常であるものを排除することに繋がっていく。
 自然と不自然という枠組みもほぼ同じように設定される。不自然であるということを意識的か無意識的かに関わらず排除しようとするのである。
3.自然の拡張と自由の哲学
 例えば、ゲイやレズビアンは自然の存在ではない、故に認められないという考えかたがまかり通る(彼らを異常性愛者と呼ぶ言い方からもこのことが伺えるだろう)。そうして西欧では、そうした異常者と呼ばれる人々を「狂気の人」として監獄に入れたのであった。露出狂、フェティシズム、動物愛好症、サディズム、マゾヒズム、性欲亢進症、性欲欠乏症等を異常、あるいは障害として認めるようになった。あるいは性倒錯者、精神病者などもそのような範疇に入れて考えるようになる。
 たしかに、現代においてその人たちが監獄に入れられることはない(入れられる国もあるが)。しかし、物理的な監獄に入れられることはなくても、精神的な監獄に入れられているではないだろうか。
 人々が不自然だと感じることを、おかしいなと思い、自然の概念を拡張することがその第一の解決策になるのではなかろうか。だが、これが一度に人々の心の中で定着するのは難しい。徐々にそのようになるような、不自然/異常と見られている範疇の人間がその自然概念がおかしいのだということを発信し、また正常といわれている人の側からもレスポンスをとり続けることが大切だと思う。それが自由の哲学といえるのかもしれない。
※1 家族的類似性について (http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1570009077&owner_id=4520754

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Comment

  1. 有子 より:

    足跡コメ<img src="https://img.mixi.net/img/emoji/141.gif&quot; alt="足" width="16" height="16" class="emoji" border="0">ありがとうございます!わヴぇさんの読んでいる本難しそうですね…。あ、ドストエフスキーの罪と罰は読みました!面白かったのでカラマーゾフも読みたいとは思いつつそのままになってます。あとリルケも。
    自然ですか…。山だったり川だったり海だったりは自然ですよね。それは人間が手を加えてないもの。自然体っていうのも、感情が生まれた瞬間から理性で感情をコントロールしない、つまり手を加えていない状態なのかなと思います。
    だから不自然っていうのも、異常というよりその人が自分の中に生まれた感情とちぐはぐなことをしている状態のことを言うんだと思いました!
    長くなりました。またお邪魔します。

  2. たかはしさとし より:

    >有子さん
     コメありがとうございます。
     自然が、たしかに理性で感情をコントロールしていない状態だというのは、一理あるように思います。そういう考えだと、正常/異常という区分では説明できなくなりますね。西洋の二分法的思考に囚われすぎているのかも知れません。ご指摘ありがとうございました。
     ドストエフスキー面白いですよね^^カラマーゾフは長いですが、その分、読み応えあります。 それでは^^

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