人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ヘレニズム時代の思想|高校倫理

2021/05/21
 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら


どうもこんばんは、高橋聡です。今日はジメジメしながらも暑かったですね。オフィスからの帰りに大福を買って食べてますが、おいしいです。地下鉄御堂筋線の終点である中百舌鳥駅でお菓子を毎回売りに来てくれる業者があるんですが、気に入ったら試しに買ってみておいしかったらまた買ったりしています。

さて今回はヘレニズム時代の思想、エピクロス派とストア派、両派の哲学について考えてまいりたいと思います。その前に前回、アリストテレスを取り上げた記事について少し見て行きたいと思います。

前回の記事|師プラトンの批判者で現実主義者・アリストテレス

前回はプラトンの弟子アリストテレスについて考えました。ヨーロッパのいろんな学問の祖として知られるアリストテレスは現実主義者でした。国政体論など現代でも参照にされる議論を提供している箇所もあります。まだ読んでいない方は次のリンクからぜひ読んでみましょう。

それではヘレニズム時代の思想についてかんがえてみましょう。

ヘレニズム時代の思想

マケドニアによるギリシア世界の征服はポリスを崩壊させました。ポリスに生れた古代ギリシア人にとって、ポリスの崩壊は拠り所の喪失を意味します。彼らの生きる場所はポリスではなく世界(コスモス)となりました。ポリスのような強い紐帯で結ばれた共同体を失う人々は、自分だけが頼りでした。そうして個人主義的な哲学がヘレニズム時代に誕生します。

エピクロス派

エピクロス派はエピクロスを祖とする哲学者集団で、心身の快楽こそが第一の善であるという快楽主義を唱えました。エピクロス派は一時的な快であっても苦痛に転じるようなものは真の快楽ではなく、苦痛でも後に快に転ずるものなどは真の快楽とは考えませんでした。快楽か苦痛の内容を判断する能力が思慮であり、エピクロス派は思慮こそ最善の徳であると考えました。この思慮によって快を求めるとき、最善の快は魂に煩わしさやわだかまりのない平静心(アタクラシア)であって、肉体的快楽も心の平静に寄与する限りにおいてのみ善として認められました。こうしてエピクロス派は国家や社会などの公的生活に魂を煩わされることを避けることを求めて、「隠れて生きよ」をモットーに生活しました。

ストア派

ストア派の代表的論者はゼノンです。ゼノンによれば、宇宙は二つの原理から成り立っています。一つは火・空気・水・土の四つから成る質料です。もう一つは質料を生み出し、質料に形態を与える原理である理性(ロゴス)です。

つまりロゴスは神の摂理そのもので、万物はロゴスによって秩序付けられている、とゼノンは考えたのです。この点でストア派の世界観は目的論的世界観である、といえます。このロゴスによって万物が秩序付けられているという考え方は、新約聖書の考え方そのものです。

動物や人間はそれぞれ自然(本性)をもっている、とストア派は考えてました。動物の本性は自己保存の衝動で、人間の本性は自己保存の衝動を統制しようとするロゴスです。人間は宇宙理性としてのロゴスを分有しているがゆえに人間だと考えられました。ゼノンが「自然に従って生きよ」という際は、宇宙の理法に従って、自らの理性に従って生きることを意味します。だから賢者は理性に従って生きて、理性を阻害する情念などを抑制します。この生き方をアパテイアといい、感情や感覚にまどわされない自由を人々に与えるとストア派の人びとは考えました。

ロゴスを信じる者として、宇宙のロゴスに結びつけられた人々は世界国家(コスモポリタン)の一員(世界市民、コスモポリテース)として、人間は平等な取り扱いを受けるべきだとストア派の人々は言います。これが近代自然法思想に大きな影響をあたえました。

以上、今回はヘレニズム時代の思想|高校倫理をお届けしました。最後まで読んでいただき、ありがとうござました。

高橋聡記す

 

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2021 All Rights Reserved.