人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

孔子と顔回の師弟愛の深さ|第79回大阪潤身読書会参加

 
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どうもこんばんは、高橋聡です。

先週1.28(土)に今年に入って初めての大阪純真読書会に参加してきました。少し書くのが遅れてしまいましたが、ここで学んだことはアウトプットをしっかりしよう、と思っていたのでここに書き記します。

今回の潤身読書会の範囲で特に気になった章句が次の文章です。先進篇で一番気になったのが次のことアデス。7

白文:子畏於匡顏淵後子吾以女爲死矣曰子在回何敢死

孔子と顔回との師弟愛の深さを感じさせる章句です。

孔子はある土地で命を狙われます。

顔回という孔子の一番仁が高いと評価している弟子がいるんですが、少し遅れて孔子のもとに到着します。

孔子はこう言います。

「わたしはお前が死んだとばかり思っていたよ」

顔回はこう返します。

「先生がご無事でいらっしゃるのに、なんで自分だけ先に死ぬことができましょう」

こうしたやりとりから学べることがあります。

孔子は顔回がなくなったときに、「天が私をほろぼそうとしている」ということを2回繰り返しています。こうした言葉が自然と孔子は口にしたんだと思います。

それは孔子にとって顔回の存在っていうのがいかに大きいのかを物語っているんです。

今回学んだ章句っていうのは、この顔回をうしなった悲しみへとつながる、孔子の人生にとって顔回がいかに大きいものだったかを教えてくれる章句だな、と思います。

また、顔回が遅れてやってきて、孔子が顔回に声をかけたとき、顔回も孔子も、どちらもとても嬉しかったんだろうな、ということが想像できる非常に良い章句です。

ぼく自身がこの章句から学んだことは二つあります。

一つが顔回っていう人は、人生における力の入れどころ、抜きどころをしっかりと判断できる基準があった、ということ。ぼくはここから人生の優先順位をとっさに判断する顔回のすごさに見習いたいな、と感じました。

もう一つが孔子はこんなところで死ぬ人物ではない、という顔回のゆるぎない確信のようなものが伝わってくるということ。孔子の偉大さが伝わってきますし、なにより顔回は宗教的感情を抱いていたほど、孔子を尊敬していたんだろうな、ということがこの文章から読み取れます。その意味で、この章句がなければここまで顔回と孔子の師弟愛の深さが理解できなかったため、非常に大切な章句だと思います。命の危機のときにこそ、弟子も、師匠もどちらもこれから先の大事なことも含めてどう行動するのがベストか、それは常々考えていたんだろうな、ともいえるでしょう。だからこそ、考えだけでも有事に備えておくという大事さがわかりました。

そうした意味で、今回の章句を学ぶことで、僕自身の学びにもなりましたので、とてもよかったと思います。

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