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インド哲学を知ろう1〜ヴェーダの思想の特徴

2017/08/19
 
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どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。今日からは少し古代インド思想、インド哲学というものに触れていきたいと思います。聞いたことのない言葉などが出て来るかもしれませんが、なんとなく理解して読み飛ばしてくだされば大丈夫です。

今日はインド哲学の根本の部分であるヴェーダ思想について見ていきましょう。

ヴェーダ思想の特徴

インドの神々

Ganesha 1576096 1920
ヴェーダには神々が登場します。例えば茶褐色の髭をもち、激昂しており、ソーマ酒を飲んでいる神、インドラがいます。インドラは現代では人格神として現れていますが、かといって最初からそうだったわけではありません。元来インドラは自然界の嵐・雷・戦闘などの荒々しい力です。またインドラは牛の繁殖や豊穣一般にも顕れています。つまり、神は自然の法則や力と関係しているのです。

ヴェーダの神々の特徴として、最初から神像や神殿があったわけではなく、まず人々の要請に答えてあらわれ、そこで勢力を持ちます。人は神的なものを自然界にも人間の特性の中にも感じ、経験し、体験します。つまり、神は人の中にも宿っているのです。

インドではある人が思索してたどり着いた観念などは、概ね全時代を通じて、文化資産として保存され、次に活かされるのです。神的なものの絶大な勢力、聖なるものと考えていたことも、聖なるものの体験、神との交流などが重視されることも、全時代を通じて一貫しているのです。

リグ・ヴェーダ

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リグ・ヴェーダでのインド人の生への態度は単純です。人々はこの世で生の喜びを長くうけられることを願い、バラモンなどの祭官詩人に取り巻かれて来世のことを思い煩うことはなかったのです。しかし、見えない勢力、つまり神的なものと友好関係を保つ必要があると強く思っていました。その神的なものとの友好関係を保つために行うのが祭式であり、祭式をおこなうことができるのが専門家バラモンです。

リグ・ヴェーダが現れた時代、人々は神々を讃美していました。しかし、讃美は自分たちの勢力増長のために用いられていたのです。言葉と祭儀で潜在力をコントロールできると考えられていたのです。

天則

また、罪に関していえば、倫理的な観念ではありませんでしたが、神々の掟に違反したり、天則に逆らって行動する人は、自ら罪に陥ります。天則は祭式にもあらわれます。祭儀は天則を伴い、天則に従い、天則の道とよばれます。また天則は、人間や神々の活動全般やまじめさ、真実として虚偽ならざる仕方で現れると言われます。天則に従うものは正義を享受します。ときに天則は全宇宙に及ぶ勢力であり、誰に、どうして創り出されたのか言われるまでもなく存在するものです。天則の反対語は「秩序に反する」「虚偽の」という意味の語であり、「存在、真実、正語」と永遠に対立するとされます。

ヴェーダ思想のまとめ

ヴェーダ思想の神は人格神ありきではなく、むしろ自然の荒々しい力などがまず崇拝対象になり、人格的要素が付与されたと言っても良いでしょう。神は人の中に宿り、神聖なものが絶大な力を持つと考えられたインドの伝統はヴェーダの時代からできました。最初期のリグ・ヴェーダの時代では人々は楽観的だったといえます。それでもなお、神聖なものとの繋がりを重視し、祭式が発展し、バラモンが力を持ち始めました。

また天則は宇宙の理法であり、これに従わない人は罪に陥ったり、よくないイメージが常に付与されます。最高の存在法則、天則が後々の時代のブラフマー(梵)と通じるようになって来る端緒がすでに見えます。

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