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インド哲学を知ろう6〜ブッダの教えたこと・初期仏教

2017/08/29
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回はジャイナ教の特徴についてお話ししました。ジャイナ教も仏教との共通点が多い教えですが、苦行を推奨するなど、古代的要素がまだまだ残っている教えでもあります。今回は古代インドにおいて最も画期な教えであるブッダの教えについて考えましょう。

原始仏教

仏陀の教え

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仏陀は、共同社会から離れようとする人々に対してまず説法した。ひたすら教えを信じ、自己の解脱を求める各人に教え、戒律、実修法の集成を示しました。そもそも解脱智に到達したゴータマは自分の胸の中に秘めて、人々に説くことをしないでおこうとしました。なぜなら無法者の手にかかっては、深遠な真理や枢要な実修法も、不敬・冒瀆なものになってしまうからです。ここで、黙っておこうとするゴータマに対して、全世界が解脱を求めたため、ゴータマは思い直して自説を説きました。

ゴータマはこの世では二つの極端を避けて中道を歩むべきだと言ったのです。一つは欲望に従属する享楽の道、この世への執着という極端です。世を捨てた人々が行う苦行という極端です。この二つの極端を避けたのが中道です。中道のみが人を解脱に導くのです。

四聖諦と八正道

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仏陀の教えは四つの「聖なる真理」と八つの聖なる道から成り立っています。四つの聖なる真理は苦諦、集諦、滅諦、道諦から成り立ちます。苦諦とは、苦悩とはなんであるかについての真理。集諦とは、苦悩は何によって起こったかについての真理。苦悩は渇愛からおきます。渇愛が輪廻の原因です。滅諦とは、苦悩のもととなる渇愛を消滅させる真理。そして、道諦とは、苦悩を滅ぼすのに至る道・方法について真理。苦悩は、単なる苦であるよりも、不安や悩み続けることのほうがより苦悩の内容を表しているといいます。

仏陀の教えを人が真理であると知るのは、論理的思惟や理論的思弁によってではなくただ実践を通してのみです。人は自分自身で解脱への道を歩まないといけないのでした。仏陀はすべてのヨーガ行者と同じく、悟性に基づく思惟を意識的に抑制し、現象界の出来事については知性に基づく疑問なども教程と関係ないと斥けました。世界が永遠か否か、無限か有限か、人間は死後どう生きるのかとかいった疑問については、解脱の目的に役たたないために答える必要はないと仏陀は考えました。それゆえ、この態度は最初期の弟子たちを不可知論に導きました。

仏陀の教えでは、再生の説は自明の理として受け入れられましたが、形而上学的な観念である梵は否定されました。さらに因果応報の業説が採用されました。

仏陀の解脱法の目標は涅槃です。涅槃は解脱の目標であり、その限りで絶対境です。仏陀の涅槃は一つの生死・転生の過程が終止することなんです。涅槃の語は、煩悩(貪瞋痴)の火が吹き消された、消え尽きた状態とも説明されます。涅槃は現象界におけるあらゆる体験の停止です。仏陀の涅槃は一言で定義することはできません。なぜなら我々の思惟力の限界を超えた領域に属しているから。ブッダは涅槃を事細かに定義するのを拒みました。涅槃は体験すべきものであり、この生存中に必ず体験できます。そして、仏教徒にとって重要なことは、涅槃とは何であるかではなく、どうすれば涅槃に到達するかなのです。

このために中道の中身である八正道が示されます。八正道をさらに三段階に要約すると次のようにいえます。信仰をまず持つこと。そして規律を守ること、さらに瞑想を行うことです。その結果、解脱智を得て、解脱ができるというわけです。

信仰とは、仏法僧への完全な帰依です。南無三宝と表されます。規律には人格的道徳的な積み重ねが必須とされます。さらに、規律には慈愛、盗まず欲しないこと、純潔、真実を語ること、外見の派手さを避けること、油断なく目覚めていることなどが含まれます。人は以上の条件を満たさないといけません。以上が解脱にとって必要だからです。煩悩は無知(無明)にmとづきます。煩悩に覆われて生物は苦悩し、輪廻するのです。

縁起説

仏教では再生の過程も説かれます。いわゆる縁起説です。縁起説とは諸法の結合の方式であり、網の目のようにネットワークが広がっていることです。

瞑想の四段階

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解脱の道は次の通りです。規律に従って、一切の悪行から離れ、心を制し、煩悩を斥けます。ついで精神集中(瞑想)によって意向、思念、心の動きをもことごとく静止させ、渇愛を滅ぼします。精神集中によって人々は意識下の段階にまで進みます

精神集中には四つの段階があります。最初の段階で修行者はこの世の存在の無常とはかなさについて知性を超えて深く捉えます。この世のものへの欲望は完全に消え去り、欲望から全く自由にあります。第二の段階で、自己以外の事物の観念を喪失します。第三段階では、深い内心の平和の中に完全に自己自身に集中したときに生じる至福のよろこびを見出します。揺らぐことのない平安と寂静の中に住して、あらゆる愛憎の根を断ち切る第四段階を経て、修行者の人格中に変化が起こって修行者は聖者(阿羅漢)となります

初期仏教では、涅槃への願いを育み成就するにはとりわけこの正しい瞑想が大事にされました。正しい瞑想こそ仏教の本質部分なのであり、救済への鍵なのです。

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