インド哲学を知ろう2〜ブラーフマナ
2017/08/21
どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回はインド哲学を知ろうということで、ヴェーダ思想について取り上げました。今回はブラーフマナについて考えて参りましょう。
ブラーフマナの思弁〜梵についての思想
現象界の背後の存在の探求
古代インドでは神々が万物の中に存在すると考えられました。一方、人々は心の内面で深く考えたり、エクスタシーという忘我によって、神々や目に見えない勢力との交流を目指すようになりました。この二つの事情から、古代のインド人は絶えず現象界の背後の存在に目を向けました。そして現象界の背後に、不可知、不可視の実在を求めるようになりました。インド人は宗教的体験を重視しつつ、深遠な哲学的思索に走りました。そして生き生きとした宗教的体験から理解された不動の信念を獲得するようになりました。
この現象界の背後にある実在というものと密接に関係するのが、ブラーフマナ文献、つまりバラモンによって書かれた文章です。ブラーフマナにはバラモンが行うべき祭式の規則と解釈が書いてあります。祭式の規則と解釈、およびそれらが持つ意味が重視され、それらが吟味されたのです。ブラーフマナの世界では、祭祀の秘義の知識、祭祀行為と祭詞に関する知識、その意味・関連・効果への洞察が極めて重要になりました。この知識を尊重する文化は、その後のインドでも引き継がれました。だから、祭式学の知識を考えずに、ウパニシャッド時代の知識、後世インドの思想家たちの知識は理解できないと言われています。
このブラーフマナ時代の世界観の特徴は、実在とその実在が持つ特性などをほとんど区別しないこと、事物や抽象概念と人格的存在、精神と物質、生物と無生物の間をほとんど区別しないことにあります。呼び名のあるものは、すべて独立した存在と見なされました。
次の特徴は、こうした祭祀行為や供儀、韻律などはすべて客観的実在性と個性を持つものと見なされた点です。
現象界の背後の存在=梵
ブラーフマナ時代の知識とは、力のことです。他がなしえないことをなしうるような知識、得意な能力への鍵として知識はありました。
梵はヴェーダ・祭式・バラモンの中に浸透します。梵とは、最古の意味では、ヴェーダの文句や祭詞などに内在する力であり、または祭祀中に現れる神秘的勢力であり、バラモンが持つ神秘的勢力や精力をも指すのです。
バラモンは自分たちの本性として、自己を優勢にする不可思議な実在力である梵によって行動します。また神々も、祭式の場としてふさわしい宇宙で梵を使います。
さらに、梵は大地を定め、その上に天を伸べ広げる創造的役割ものちの時代になると付加されます。梵とは、見えない力の総和であり、実在であり、一個の人格的存在なのです。梵は神々とともに思惟し、語るものとも言われています。