人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

インド哲学を知ろう5〜ジャイナ教

2017/08/27
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回はインド思想の重要な概念について触れました。輪廻や業、解脱、ヨーガといったものを考えられました。今日は解脱を目指す人に響いた教え、ジャイナ教について考えたいと思います。はじめにまずジャイナ教と仏教の共通点について触れましょう。

ジャイナ教と仏教の共通点

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この二つの宗教が登場する前に、多くの解脱を願う修行者がいました。彼らはあらゆる階層の出身の人々がおり、森林の中で孤独な生活を求める苦行者または托鉢の行者と呼ばれました。さらに努力の最高目標、解脱に到達すべく励んでいた多種多様な集団が特にインド北東部にあらわれました。そこではさまざまな教師たちがバラモンの使うサンスクリット語ではなく、その地方の言語で説法をし、議論し、熱心な聴衆や信者を集めました

ジャイナ教の創始者ヴァルダマーナと仏教の創始者ゴータマは、多くのインドの修行者の通例通り、家や家族を捨て、長い修行を行ったのちに、「全智の状態」、人々を解脱に導く洞察に達しました。ヴァルダマーナはジナ(勝者)とも呼ばれました。ゴータマはブッダ(覚者)と呼ばれました。二人とも解脱の方法についての洞察を、バラモンの影響力の少ないインド北東部で人々に伝えました

そしてこの世で最高目的つまり解脱を求める出家者の僧団と、この世では解脱を求めない世俗の信者の集団とを創始しました。二つの宗教は、ヴェーダの権威とバラモンの地位の権威、インドにおけるとても大きな二つの権威を否定して、崇高な教師の教え、先達の教えを伝えて唯一絶対神や宇宙霊魂も認めなかったのです。

ジャイナ教の特徴

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古代的な面もある

共通点が多いジャイナ教と仏教ですが、ジャイナ教は仏教と比べると、古代的・保守的な面も多いのです。ジャイナ教の観念や用語は柔軟な思惟を大事にした仏教の観念や用語よりも、しばしば前段階にあると言えます。中でもジャイナ教の宇宙論は古代的です。その宇宙論では、世界は直立する巨大な人と考えられて、足は地獄、胴に人間と獣類の生息地があり、胸と頭部には神的存在があるとされます。そして、その上に、解脱してニルヴァーナに入ったものが存在するのです。ジャイナ教では、霊魂観や業説も古代的ですが、苦行を解脱の方法の方法として高く評価するのもまた古代的です。

ヴァルダマーナという人

ヴァルダマーナは伝承によれば、パールシュヴァの信者であるニルグランタの家庭に生まれたと言われています。彼はパールシュヴァ派から「実践倫理」の大部分を借用しました殺生をせず、余計な言葉遣いをせず、与えられないものを取らず、真の人間的自由の障害となるものを避けるように望み、激しい苦行によって自らの意志で生を脱し、この世の束縛や欲望から解放できる力を持つようになる点が受け継いだ実践倫理です。またヴァルダマーナは自ら数学者として自認し、数学的考察も数多く行っています。

ジャイナ教の実体に関する五つの基礎原理

ジャイナ教は実体とみなされた五つの「有聚」、つまり基礎原理を採用します。五つの有聚が互いに作用しあって、宇宙が生じ、現象が作り出されます。五つの有聚とは、ダルマ、アダルマ、虚空、プドガラ、命我です。ダルマとアダルマはそれぞれ運動と休止の条件で、この両者があるためにあらゆる運動と休止が可能になると言われます。虚空はあらゆる存在に場所を与えるもので、世界空間と非世界空間とに区別されます。ダルマ・アダルマ、虚空の三つの基礎原理はそれぞれ単一で活動性がありません。プドガラと命我は活動性を持っており、無限で、しかも変化することない多様性の中に存在するとされます。基礎原理の中では命我だけが生気を持ちます。プドガラは認知できる形体を持ちます。ジャイナ教は精神と物質とを完全に区別したインドで最初の教派です。

以上五つの基礎原理に加えて、時間も大事な要素とされました。時間は永遠で、種類として単一です。空間による限定も受けません。ジャイナ教では時間は実体とみなされました。

ジャイナ教の霊魂説と業に関する教説

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ジャイナ教の霊魂観はインドの通俗的概念からの借用です。命我は伸縮自在で肉体を離れると大きな広がりをもちます。命我はマナス・肉体・発声力などが活動する際に、特定の微細なプドガラを吸収します。この微細なプドガラが命我について業となるのです。業の緊縛(けばく)はまさに業の結果たる激情によって存続します。流入したプドガラのある部分は、八種の業を形成し、百四十八の下位の類に展開します。この八種の業がそれぞれ真の知識と観照を妨げて、肉欲や苦悩、迷妄へと誘い、命我の真の本性を覆い隠します。そして生の存続や個別的存在、社会的地位への偏向を生じます。八種の業は善行を阻止します

ジャイナ教では転生の仕組みについてさまざまなものがあります。その中の一つは、命我は急速度で世界の中心にある巨大な軸を通って新たな場所に赴いて、そこで次の存在を開始します。

解脱に至る道

命我に業が流入するのを阻止することはできると考えられました。そして、解脱の道はそこから始まるのです。すでに形成された業も除去しないといけません。修行僧にとって解脱の達成には、厳しいヨーガの道が役に立つと考えられたのです。ヨーガは正智(真理についての知識)、正見(教えを信じること)、正行(一切の悪行から離れること)からなります。正行は慈愛を基礎とします。慈愛とは、すべての生きとし生きるものを損なわず、愛することです。慈愛によって、命我を業の流入から遮断できます。慈愛はすべての修行項目の基礎なのです。激しい苦行と精神集中が解脱へと導く最後のプロセスです。

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