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ブッダの教え・仏教の誕生と発展|高校倫理

2021/06/23
 
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日は休みで一日中ゆっくりしておりました。ゆっくりできるととてもうれしいし、体も休まりますね。休息も大事だなと思う今日一日でした。

さて今回はブッダの教えについて考えていきたいと思います。日本にも多大な影響を与えてきた仏教ですが、今は葬式仏教として知られていますが、インドで説かれたブッダのもとの教えを知っている方は意外といません。今回はそうした部分を説明していきたいと思います。

初期仏教から上座仏教、大乗仏教とだんだん違う方に仏教は変容していきましたが、その最後にできたのが日本仏教です。今回は古代インドの仏教が生まれる基盤となった思想状況をみて、ブッダの教えとはどういうものだったか考えていきましょう。

前回の記事|イスラームの成立と教え

その前に、前回の記事について見て行きましょう。仏教と同じく世界三大宗教の中の一つ、イスラームについて前回は解説しました。以下にリンクを貼っておきます。

まだ読んでいない方、イスラームについて知りたい方はぜひ読んでみてくださいね。

ブッダの教え

古代インドの思想・バラモン教

古代インドではアーリア人がインドにもともと住んでいた先住民族を支配して、紀元前10世紀ごろに、ガンジス川流域に定住して、バラモン教カースト制度を作り上げて社会の支配者となりました。

『ヴェーダ』の宗教・バラモン教

バラモン教は『ヴェーダ』を聖典として、天・地・太陽・風・火などの自然を象徴化した自然神を崇拝し、司祭階級であるバラモンが行う祭式を中心とする宗教です。バラモン教の広まった古代インドでは、人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世で生まれ変わる輪廻が信じられてきました。そうして人々は悲惨な状態に生まれ変わることに不安をだいて、無限に続く輪廻から抜けだす解脱の道を求めました。

ウパニシャッド哲学と梵我一如

紀元前7世紀から紀元前4世紀頃にはバラモン教の教義を理論的に深めたといえるウパニシャッド哲学が形作られました。そのウパニシャッド哲学によれば、宇宙のすべてのものの根源にはブラフマン(梵)と呼ばれる世界の絶対的な原理があり、すべての命あるものにはアートマン(我)と呼ばれる不変の自己をがあると考えました。このアートマンが様々な生命に宿ってこの世で輪廻を繰り返すとウパニシャッドでは考えられました。アートマンとは何かといえば、今の日本人がいう魂のようなものをイメージするとよいでしょう。

ウパニシャッド哲学ではアートマンとブラフマンが一体であることを悟ることによって、大きな宇宙の根源と一体となり輪廻の苦しみから解脱することができるといいます。このアートマンとブラフマンの一致の境地を梵我一如と漢字では表します。

仏祖ブッダの教え

自由思想家の誕生

紀元前5世紀ごろ、インドでは商工業が盛んになりました。同時に庶民の力が強まりました。そうした中、バラモン教の伝統にとらわれないで自由に、かつ合理的に考えようとする自由思想家たちが現れました。

ブッダはその自由思想家の代表の一人です。ブッダの説いた教えが仏教です。そのほかにも六師外道と呼ばれる六人の代表的な自由思想家がいました。その一人には、現代でもインドで残っているジャイナ教を開いたヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)がいます。

ブッダの生涯

ブッダの本名はガウタマ=シッダールタといい、ヒマラヤのふもとの国カピラヴァッツでシャカ族の王子として生まれました。王子として生活する分には、何一つ不自由ない生活をブッダは送りましたが、人生の苦しみに悩んだブッダは、29歳のときに出家して修行者となりました。

はじめは断食などの苦行を行いましたが、その無意味さに気づいて35歳のときにブッダガヤの菩提樹の下で瞑想をしているときに悟りを開きました。ブッダとは「真理に目覚めた人」という意味で、覚者とも呼ばれます。

ブッダの教え

まずブッダは苦しみ、苦(ドゥッカ)を直視します。苦の言語ドゥッカには、人間がコントロールできないものといった意味があります。人生に必ず伴う苦を四苦といい、生、老、病、死に伴う4つの苦が四苦です。さらに愛する人と別れないといけない愛別離苦、憎い人と出会わないといけない怨憎会苦、求めるものが得られない求不得苦、精神と身体から成る人間の苦は逃れられない五陰盛苦の4種類の苦を先の四苦と合わせて、八苦と呼びます。つまり人生はすべて苦しみに満ちている一切皆苦であることを知ることが、仏教のスタートとなります。

苦しみの根底、原因にはすべてのものは変化し、消滅するという事実があるとブッダは指摘します。この世に生まれてきた者はすべていつか消滅する諸行無常、またこの世に生まれてきた者には永遠に続く実体をもつものは何一つないという諸法無我、この二つの考え方が人生の真相なのです。

物や世界など存在の成立と消滅には因縁の考え方が適用されるとブッダは考えました。因とは直接の原因、縁とは付随する条件のことです。因縁が和合してあるものは成立して存在し、因縁が分散すれば存在が消滅するとブッダは考えたのです。

このブッダの悟った真理こそ、縁起の教えです。因縁もまた別の因縁によって条件づけられます。すべて存在するものは、因縁の離合集散を繰り返すために、世界は無常・無我なのです。

すべてのものを縁起によって成立するという真実を知らずに、自己や自己の所有物が永遠に続くことを願う人間の根本的な無知を仏教では無明と呼びます。

自分の所有物への執着の根底には、そのような所有を願う自己自身への執着である我執があります。人生が無常であるにもかかわらず、縁起の教えを悟らずに我執に振り回されて永遠の楽しみや不死を願う無明から、さまざまな人生の苦悩が生まれるといいます。

ブッダは人の心の中では欲望の炎が燃えているといいます。欲望の炎は人間が自分の生存や所有物に執着する心から生まれます。執着心は人の心身を傷つけ、悩ませるものなので煩悩とも呼ばれます。

ブッダは三つの煩悩である貪り(貪欲)、いかり(瞋恚)、おろかさ(愚痴)を人が自分自身を傷つける毒にたとえて三毒と呼んでいます。また煩悩は渇愛とも呼ばれます。渇愛は自分を中心にして相手への執着を貫くものです。仏教では愛は煩悩の一種として使われる言葉です。

このような欲望の炎を完全に消して、我執から自己を解放することで、悟りの境地(涅槃、ニルヴァーナ)に達することができます。涅槃は炎の消滅という意味で、煩悩の炎が吹き消されて永遠の平安が訪れた状態です。これを涅槃寂静の境地といいます。

ブッダは欲望を完全になくすことを求めたわけではありません。快楽と苦行をともに退け、その中間の適切な生き方である中道を説いたブッダは、過度な快楽を求める欲望を遠ざけて、執着心を自己から解放することで心静かに生きることを求めたのです。

ブッダは涅槃を実現する道として四諦八正道を説きました。

四諦とは四つの聖なる真理という意味です。人生は苦に満ちているという苦諦、苦の原因は煩悩が集まるところにあるという集諦、煩悩を消滅させれば涅槃に至るという滅諦、涅槃に至るには正しい修行の道があるとう道諦の四つの諦をまず知ることが大事なのです。

そのうえで八正道とは、道諦の中身で、八つの正しい修行の道という意味です。真実を正しく見る正見、正しく考える正思、正しい言葉を語る正語、正しく行動する正業、正しく生活する正命、正しく努力する正精進、正しい教えに注意を払う正念、正しく精神統一する正定の八つが八正道です。

定(精神統一)とは、古くからインドに伝わる瞑想法でして、心を静めて心理を体得する禅定(ヨーガ)のことを指します。ブッダ自身が禅定をとおして悟りに至ったのであり、正定において涅槃が実現され、悟りが完成するとされます。八正道の本質は、無常や無我といった真実をみつめて縁起の教えを理解し、執着心を捨てて静かで安らかな心境で生きようと努力することです。

ブッダは極端な苦行を精神をもうろうとさせるものとして批判し斥けました。縁起の教えを悟り、中道を守って八正道を実現するならだれでも真理に目覚めた人(ブッダ)になることができるとされました。
ブッダはさらにすべての命あるものへの慈悲を説きました。慈は慈しみであり、人々に安楽や楽しみをあたえること、悲とは他者へのあわれみや同情であり、人々の苦しみを取り除くことです。慈悲はすべての幸福と平和を願う心です。

このように四諦八正道を実践したうえで、他者への思いやりである慈悲を仏教では重視しました。仏教では四法印や四諦八正道、慈悲といった概念がすべて有機的につながっていますので、どれも大事な教えとなります。こうしたものが初期仏教の特徴だと押さえておきましょう。

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