人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

インド哲学を知ろう9〜第二期ウパニシャッドとマハーバーラタ

2017/09/04
 
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どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回は大乗仏教について触れました。今日は大乗仏教が栄えたのと同時期にバラモン教内部で起こった思想運動からヒンドゥー教が出来あがったことをについて見ていきましょう。

第二期ウパニシャッド・マハーバーラタ

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西暦紀元後のバラモンの特徴

西暦紀元後、バラモンは地理的にインドの新たな地域にまで勢力を拡大しました。ただちに教育者や僧、高貴な人の相談役として、あるいは経典類の著者として、あるいは宗教的生活に専念しようとするインド人達の指導者として、勢力を増大しました。包括性に富んだ宇宙論、神話、社会理論、人生観、世界観、文法学、他の様々な学術体系を新しい地域の人々にバラモンは与えました。この際、通俗信仰、非アーリア人の思潮、部分的にしか知り得ない世界の様々な観念や思想を取り入れて合理化し、バラモン化しようとしました。そのうえ対立するような洞察や教説さえも吸収して、自分たちの教説全体を大きくしようと計画しました。

マハーバーラタについて

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(写真はヴィシュヌ)

マハーバーラタと、続くプラーナ文献においてバラモン達に主導されるヒンドゥー教が開花しました。ヒンドゥー教ではバラオンとヴェーダの権威ももちろん認められています。バラモンたちは自らの思想に酔いしれて、思いのままにサンスクリット語で著述を行いました。一貫した世界観の理論も、哲学もそこには存在しませんでした。ただただ諸観念の総合であり、雑多な概念の寄せ集め、習合でした。

サーンキヤ

サーンキヤとは救済の一道であり、智識による業を滅しつくすことを目指します業の断滅の真理に挑み、その真理を説くと主張します。ヨーガ同様、サーンキヤも形而上学の体型ではありません。ただ形而上学的思惟を伴っているだけなのです。救済法の中では、サーンキヤという思想的活動は非霊魂的なもの、根本物質から展開したものを特に重視しました。

ヴェーダンタ

ヴェーダンタにとって、ヴェーダの権威は確定しています。直接的知覚と推論は認識手段として有効だと考えました。ウパニシャッドの説く一元論は絶対の真理だとヴェーダンタは考えました。ウパニシャッドで出てくる根本物質は認識を超えた第一原理です。根本物質は自身からその他の原理一切を生じます。この諸原理や諸実在は知覚できないとはいえ、物として存在します。

ウパニシャッドの作者たちの考える解脱と最高神

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(写真はシヴァ)

ウパニシャッドの作者たちにとって解脱とは何か消極的には、個人格の確信を現象的なものから解放し、再度の出生を防ぐことです。積極的な定義づけは、梵、最高神とされた最高齢に個人格の核心が入ること、霊我のみの絶対的状態、喜び・悲しみなどの対立をこえた状態に到達することなどです。

最高の原理は当初梵とされましたが、やがて絶対の人格的局面が強調されるようになり、有神論の傾向があらわれ、最高存在は主宰神であると考えられるようになりました。主宰神は滅びるものと滅びないもの、目に見えるものと目に見えないもの、一切を保持します。主宰神は神々の本源かつ起源であり、存在すべての主宰者、滅びるものの統御者、根本物質と霊我の主と考えられました。主宰神が輪廻へ止まることと解脱の原因です。何人も主宰神の姿を見ることはできませんが、サーンキヤとヨーガによってのみ主宰神を瞑想の対象として捉えられるようになると考えられました。主宰神を最高のものと知る人は不死になると考えられました

梵には三位、自生・霊魂・最高神があるとも見なされました。この三位についての深い考察こそが梵への飛翔へ、人を解脱に導くものです。唯一の神は万物の中に隠れており、すべての存在に満遍なく存在し、万物の内我と考えられました。ここでも絶対は人格的に表されます。

元は地方神だったクリシュナが急速に重要な神と考えられるようになりました。クリシュナは信徒達との間に強い人格的紐帯を結びました。この時代、クリシュナは至福の神ヴァースデーヴァと一致されて見られました。マハーバーラタではさらに高い位置にクリシュナは上り詰めました。クリシュナはヴィシュヌと同等の敬意と崇拝を受けました。バラモン達の観念と他の異なる宗教的思潮との総合はこうして達せられました。

シヴァとともに、ヴィシュヌは全能なる神、あらゆる点で古来の神々を超え、神々の筆頭、絶対最高の神の地位に昇りました。ヴィシュヌとシヴァが並んで大衆の崇拝する神となる一方、思惟の進んだ知的エリートたちにとっては、最高神の概念が理想となり、中心となりました。それは、ウパニシャッドを基とするバラモン教と、総合的に進んだ一神教的潮流に負うところが大きいのです。

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