人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

社会学について12〜ガーフィンケルの社会学

2018/02/27
 
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どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今回はガーフィンケルの社会学・エスノメソドロジーについて考えましょう!

ガーフィンケルの社会学

ハロルド・ガーフィンケルはパーソンズに師事して秩序問題についてパーソンズとは全く違う答えを提示しました。

エスノメソドロジーとは

ガーフィンケルは裁判の陪審員の審議過程を研究するなかで、秩序問題についての考え方を日常的な世界の中に見出しました。アメリカでは普通の市民が裁判の審議に参加する陪審員制度が古くから根付いています。陪審員は法律の専門家ではないので、常識的な知識を使いながら問題を考え、審議を秩序あるものにしています。ガーフィンケルは普通の人々がどのようにして秩序立てているのかを研究する方法を模索しました。

ガーフィンケルは研究を重ね、日常的な生活を営む人々を「エスノ」と呼び、そうした人々が社会的現実を知り、それをどのように秩序立てていくかを研究する方法を「メソドロジー」と呼びました。両者を合わせて、ガーフィンケル独自の研究視点や研究方法をエスノメソドロジーと命名しました。

秩序問題と説明可能性

ガーフィンケルは研究者がシステムや価値のような概念を使って秩序を説明する前に、日常生活の中に秩序はすでにあり、それは生活者なりに解決済みの問題だと考えました。ガーフィンケルはそれまでの社会学者とは違い、秩序問題を人々が日々それぞれの状況においてそれぞれの知恵や工夫を出し合って常識的に解決しているというのです。理論化によって筋道をつけて解答を用意するような問題ではなく、日々状況によって解決されているものだというのです。

さらにガーフィンケルは秩序問題は生活者なりに説明可能なものだと定義しました。人々は常識的な知恵や工夫を出し合い、その場その場の秩序問題を解決していますが、それはそれぞれに見通しのあってのことで狩られに聞けば説明してくれると考えました。ちなみに彼のいうエスノ(市井の人々)自然に自分の言葉を使ってごく当たり前に判断をし、自分の言葉で説明してくれる人々のことです。

リソースからトピックへ

秩序があるということはその場面が可視化され、組織化されていることです。だから説明が可能なのです。これはその場面場面において個別の戦略があることに他ならず、ゴフマンのドラマツルギーという考え方に通じます。しかしガーフィンケルのアプローチがゴフマンと違うのは、研究者の用語ではなく、市井の人々の言葉でそれぞれの戦略を語らせるという点です。

そのために日常生活を営む人々が当たり前のリソース(手立て)としているものを、話題(トピック)として取り上げることを一つの「メソドロジー」としています。

エスノメソドロジー的無関心

なぜガーフィンケルは市井の人々の言葉の中に入って人々の言葉で語らせようとしたのでしょうか。それは研究者が対象者から独立して客観的に社会現象を説明するのではなく、対象者と同じ世界に入り込んで、何らかの普遍的な認識を得るべきだという考えがあったからです。

我々は研究者も含め、社会の中にあって当たり前のものを当然のごとく受け入れています。そこでエスノメソドロジーではあえて社会現象について「何が正しい」とか「何が重要である」といった問題には「無関心」であろうとするのです。これをエスノメソドロジー的無関心と呼びます。

まとめ

ガーフィンケルの視線は現象学的社会学者であるシュッツの視線と似ていると感じました。

自分の立場を他の人の立場に置き換えてその他の人の言葉で語ることができたとき、とても意味ある研究をなすことができたというのです。

ただし他の人の立場を類推していくわけですから、完全に他の人のことを知ることはできません。だからこそそこのズレは仕方ないにしろ、どう解決するかは話し合う必要があるように思えます。

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