社会の中の人間1ー社会統制について
2018/04/05
どうも哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今回もバーガーの「社会学への招待」から見ていきましょう。
成長とは常識的なものの見方をするようになること
地図に絡めていうと、成長とは地図の中の自分を位置付けることができ、人は所番地を手に入れてはじめて大人の世界へと歩むこと、と少年の目からしてもいえるでしょう。子供はこの世界観を現実のものとして受け入れ、さまざまな所番地を集めます。さらに、健全な少年とは学校の記録書類に書いてあることを信用している少年のことです。正常な大人とは、自己に割り当てられた座用の枠内で生きている大人だというのです。
では常識な物の見方とはなんでしょうか。常識的な物の見方とは、実は自明とされている大人の物の見方のことなのです。
社会学的パースペクティブからいえば、常識的な物の見方というものに縛られて行動するということは、社会統制と階層構造という二つの重要な研究分野と関わっています。
社会統制
社会統制とは社会学でもっとも一般的に使われる概念の一つです。社会統制とは社会に対して反抗的な成員に同調的態度をとらせるため、社会によって行使される様々な手段のことを言います。暴力的統制
この社会統制のうち究極的かつ最古の手段は肉体的暴力です。警察力や軍隊、死刑制度などがこれに当たります。西洋の民主主義社会では公的暴力が常に存在することが軽視されがちですが、バーガーはこう言います。暴力は、あらゆる政治的秩序の究極的基盤なのである。
ただ、暴力をずっと使いづつけるのは効果的でも実際的でもありません。社会統制を担う公的機関が主として依存するのは、暴力的手段が有効性をもって皆が知っているがゆえに、規制力が生じるという事実なのです。そして、暴力による規制は通常正当なものと考えられているのです。これには、単に時が経過すれば、社会体制は容認され、人々に受容される傾向を持つという事実と関係しますが、ここでは深入りしません。
ここで我々が頭に置いておかなければいけないのは、ほかの強制手段がうまくいかないときに暴力が公的かつ合法的に行使される社会状況にほとんどの人々は生きているということです。
経済的な圧力
経営者の側も労働者の側も経済的圧力から脅迫手段を専制の道具として使用している。
バーガーはこう指摘します。教会や大学による経済的制裁もビジネスの世界での制裁とそうは変わりません。
第一次集団における逸脱者に対する統制メカニズム
人々が緊密に関係し合っている集団の中で生活し労働する時、お互いが個人的に知り合い、個人的な感情によって第一次集団と結びつく状況において、逸脱者に対する統制メカニズムが働きます。説得や嘲笑、ゴシップや悪口、さらには無視などです。一定の時間を超えて集団討論(説得)が行われると、個人は最初抱いていた意見を集団規範(集団の構成によって決定される規範)に合致するように修正するようになります。合意へと向かう圧力の根底には受け入れられようとする深い人間的欲求が根ざしているのでしょう。嘲笑やゴシップはあらゆる集団における社会統制の強力な手段です。笑いものになるかもしれないという恐れの経験は誰でもあるのではないでしょうか。
そして最も強大な懲罰手段は一人の成員に組織的な恥辱を浴びせかけ、コミュニティから追放するというものです。日本の「村八分」やアーミッシュ社会に見られる「のけもの扱い」がそれです。
社会統制というのは、しばしば偽りの主張に基づいて行われます。社会統制の様々なシステムは一軍の同心円を形成します。われわれはその同心円の中心に立っているのです。
道徳や風習、習慣などのシステム
最も緊急性がある場面以外には法的制裁が発動することがないものが道徳や風習、習慣などのシステムによる社会統制です。道徳的感情からの失業や孤独、さらに病気といったものに対して恐怖を感じたことはあなたはないでしょうか。カウンセリングやガイダンス、セラピーなどこういったものはすべて社会統制装置をまるごと補強し、政治や法のシステムによる制裁が発動できない部分に対して強大な統制機能を果たすのです。職業選択によって、人は否応なく自分を統制の中に置いています。雇用者による統制、資格認定期間や専門職組織、労働組合による公的統制、同僚や職場仲間からの非公式的な統制、経済的な制裁、職業システムによる社会統制など様々なものが働きます。