人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

真実の般若心経

 
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どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。今日は『般若心経』を訳したので、こちらに発表したいと思います。般若心経というと難しいイメージがあります。もちろん、簡単なことは書いていませんが、実は釈尊(ブッダ)が言ったことばときわめて近い位置にある大乗の経典であるとぼくは考えます。早速見て行きましょう。

“偉大なる智慧の完成の真髄について”

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以下が漢文の引用です。当代の玄奘がサンスクリットから漢文に訳したものです。玄奘は法相宗の基を築いた人で、日本の仏教にも大きな影響を与えました。

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。

即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経

(前文)

観音菩薩は六波羅蜜の最後の行となる智慧の完成の修行を実行していたときに、すべての存在は五つの構成要素から成り、これら五つの構成要素がすべて無常として常に変化するものであり、因縁の法によって成立しているため、無我として不変の実体などなく、皆苦つまりすべてがドゥッカとして無意味であることを悟った。そして一切の苦しいことから解脱し、涅槃に生きたのであった。

(観音の説法)



シャーリプトラよ、

この世においては、物質的現象はすべて変化し、不変の実体などなく、無意味であるということと異ならない。無常、無我、皆苦で無意味であるということは、物質的現象と何ら異ならないのである。つまり物質的現象は、すべて変化し、不変の実体などなく、無意味なのだ。無常、無我、皆苦で無意味であるということが、物質的現象なのである。これらと同じように、感覚も表象も意志も心もすべて、無常としてすべて変化し、無我として不変の実体などなく、皆苦として無意味なのだ。



シャーリプトラよ、

この世においては、すべての存在するものは無常としてすべて変化し、無我として不変の実体などなく、皆苦として無意味なのだという性質を持つ。生じることはすなわち、滅し始めたということだ。だから、生じなければ滅することもない。汚れているからこそ、清浄になることができる。だから汚れていなければ、清浄になるということはない。増えるということは、減り始めることである。だから増えなければ、減ることもない。無常としてすべて変化し、無我として不変の実体などなく、皆苦として無意味であると悟ったとき、次のことがわかるのだ。本当は物質的存在もなく、感覚も表象も意志も心もない。存在するための五つの構成要素はすべて存在しないのだ。すべては全体として一つなのだ。すべての感覚と心を生み出す六根もなければ、六根の対象である六境もない。さらに六識界もない。やはりここに分別などない。さらには十二因縁説の始まりである無明もないし、無明から老死に至るまでの十二因縁の各要素が尽きることもないのだ。そして四聖諦の四つの区別、すなわち苦集滅道もなく、八正道もない。智ることもなければ得ることもない。だから、得ることもないから、すべての菩薩は智慧の完成を達成したのである。だからこそ、心に障害なく安定している。心が安定しているから、恐怖することもなく涅槃、永遠の平安というべき境地に至ったのだ。



過去、現在、未来の三世にいる目覚めた人たちは、すべて智慧の完成を達成し、この上ない正しい悟りを得たのだ。

それゆえに、智慧の完成のための大いなる真言、この上ない真言、比べることもない真言は、すべての苦しみを取り除き、偽りなくただ真実なのである。だから、真言を説いて次のように言おう。

ガテー ガテー パラガテー パラサンガテー ボーディ スヴァーハー

(仏さま、仏さま、涅槃に達した仏さま、完全な悟りを体得された仏さま、悟ることができますように、ありがとうございます)

ここに智慧の完成の真髄についてを終わる。

題について

般若心経は、魔訶般若波羅密多心経という題です。魔訶とはインドのことばでマハー、”大いなる”という意味です。般若とはパンニャの音訳で”智慧”を意味します。波羅密多とは、パラミターの音訳で”彼岸に渡ること””完成すること”を意味します。心と経は漢字の意味の通りですから、これらを意訳すると”偉大なる智慧の完成の真髄についての経”という意味になります。

空について

空とは実体がないという意味でとらえられます。それは正しいのですが、それだけで捉えると空のイメージが先行しすぎて訳文を読んでも意味がよくわかりません。釈尊にしろ、龍樹にしろ、難しいことを説いたように思われていますが、私はそうではなく、皆が理解できることを説いたのだと考えています。空とは何かを常に考えていた結果、ぼくは仏教をほかの教えと区別する際に用いられ、仏教の根幹をなす四法印のうち諸行無常、諸法無我、一切皆苦が頭に浮かんだのです。実体がないと訳される空は、このうち無我と最も関係が深いと言えるでしょうが、本当は釈尊の智慧というのはこの三つの法印が有機的に繋がって転回される智慧なのです。空の代表的な思想家龍樹は、煩瑣になりすぎた説一切有部の仏教を批判しましたが、空が単なる否定の思想でないとするなら、釈尊へのまさに原点回帰の意味を込めて空に三つの意味を込めたと言えるのではないでしょうか。三つの意味で空という言葉を置き換えると、とてもすんなり般若心経が読めるのです。だからぼくは諸行無常、諸法無我、一切皆苦の三つが一体となってできたのが空観であると判断し、ここに真実の般若心経を訳出しました。

前文について

大乗仏教の代表的な菩薩である観音菩薩は、大乗仏教の象徴と言えるでしょう。彼が空を理解して悟ったということは、諸行無常、諸法無我、一切皆苦という三者に意味づけをしすぎて煩瑣な哲学体系となった説一切有部の仏教を捨て、原点回帰を目指したものといえます。観音菩薩は釈尊の教えに戻り、空を理解したのです。

①について

五蘊皆空を説いた箇所。あなたが形として見えている物質は、すべて変化し、不変の実体などなく、善悪の価値判断ができない無意味(無記)なものである。すべてあなたが感じている現象は、そのようなものなのだと言っているのです。

逆にいえば、無常、無我、皆苦ということは、現象そのものなんだ、ということもここでは言っています。

②について

小乗の批判をして大乗の立場を表す。六不(不生不滅、不垢不浄、不増不減)は空を悟らなくても真理です。ところが、是故空中以下の文章につく無には注意しないといけません。仏の境地(空中)では、無分別の真理として分別したものが無いと言っています。釈尊が真理として示した区別すらもなく、無分別として世界は一つであることを認識する必要があることが説かれているのです。このことは、換言すれば釈尊の教えにすら執着するなということとも言えます。上座部仏教にしろ、消滅した説一切有部にしろ、釈尊の教えに執着しているから限界がある、と般若心経は考えるのです。般若心経は釈尊への原点回帰を行います。事実としてあること、つまり四法印は大事にします。ところが、分別しすぎることをとにかく嫌う傾向にあると言えるでしょう。

③について

この部分は真言部です。現代人にとって、理解できない言葉を唱えるのは理解しがたいことですが、当時でも今でも理解できない言葉を唱えることで無分別の境地に至る道があるのです。すべての人が悟ることができるように、この真言を唱えるという祈願の念ももちろんあるのかもしれません。

まとめ

般若心経は大乗仏教の慈悲と智慧の実践が説かれたものです。智慧の実践ということがそのまま慈悲とも繋がるのです。あなたもじっくり般若心経について考えてみましょう。

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