人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

文化資本の概念

2021/05/13
 
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日はしまむらとBOOKOFFにいってまいりました。しまむらでは1万円の福袋を買い、BOOKOFFで本を20%引きで買いました。なかなかいい買い物ができました。これを読んでくださっているあなたは正月、どこかに行きましたか。こういう正月の行動特性に影響を与えるのが文化資本だよ、って言ったのがフランスの社会学者ピエール・ブルデューです。


前回の記事|2021年のはじまり

その前に前回の記事を少し振り返っておきましょう。前回は挨拶とコロナ時代に必要な能力について書きました。



まだ読んでいない方は読んでくださいね。


文化資本

フランスの社会学者ピエール・ブルデュー(1930~2002)が使う用語の中に、文化資本ということばがあります。文化資本とは経済資本とは対をなす概念です。経済資本は金銭的価値で測定可能なことが多いですが、文化資本は直接的には測定が難しいものが多いです。文化資本とは何かというと、界において資本として機能する身体技法や、行為・評価の傾向性のことです。ことばとしては難しいので、文化資本のイメージを言いましょう。お金持ちで文化に理解ある家庭で育った女性がいるとして、そういう女性は芸術作品に理解があり、さらに上品な食事マナーやその他のマナーを身に着けていることが多いのはなんとなくイメージできますよね。そういったマナーとか芸術作品への理解、音楽作品への理解や実際に音楽を演奏できることなどが、文化資本となります。つまりダイレクトな趣味とか生活様式全般を含めたものが文化資本となるのです。


資本合理的な人間

すべての人はなんらかの文化資本を持ちます。そしてブルデューがいうには、すべての人が経済資本にしろ文化資本にしろ、利得を求めて行動しているというのです。資本合理的な人間像がここで浮かび上がってきます。

経済資本の場合はお金で優位に立とうとするのでわかりやすいのですが、文化資本での利得を求めるとき、人は周りからみて非合理的と思えることを行うこともあります。

たとえば競馬場にいつも賭けにいっている人がいるとします。その人はAという馬が好きで、いつも負けているのにAという馬に賭けます。周りからすればなぜいつも負けるのにAに賭けるのか理解不能です。経済資本だけみていたらこういう事態は説明できないでしょう。ところが、文化資本の観点からいくとこういうことは説明できるのです。競馬で賭けをするというときにも、やはり界(場)というものは存在します。今回は界についてあんまり説明していません。また詳しい機会があったらします。たとえば毎日札幌競馬場に通って競馬仲間たちと一緒にいる場(界)があるとしましょう。Aに賭けるのはなぜか。その競馬仲間と一緒にいる場において、Aにこれ以上賭けているようなやつはいない、そんなAを好きなやつはいないというポジションを得ることができるのです。そういうポジションに立てば、Aのことを話すだけで周りの仲間とのコミュニケーションが促進されたりします。つまり、ある界(場)において、Aに賭けているこの人は利得を得ていることになるのです。

文化資本は長時間をかければ経済資本に転換することができるとぼくは考えています。

そういったお話もまたしていきたいですね。今日はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

たかはしさとししるす

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