人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

自分にコントロールできることに目を向けるために、仏教の苦に関する教えを知る

2021/05/13
 
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どうもおはようございます。たかはしさとしです。今日はnoteもくもく会第3回ということですが、15分近く寝坊してしまいました(´;ω;`)。昨日遅くまで起きていたから、油断してしまいました。残り40分しかないので、さっそく書き始めることとしましょう。構想もまとまってないけど大丈夫かな。重い通りに書き連ねていって最後にまとめるようにしましょう。

仏教における苦とは

前回のもくもく会投稿では仏教の自己啓発的な側面について考えました。今回は初期仏教から日本に伝わった大乗仏教まで一貫して仏教の根底に流れる教義であり、これがなくては仏教ではない、という教えの一つ、苦、つまり苦しみについての仏教の考え方についてみていきましょう。

このというのは、パーリ語でドゥッカといいます。ドゥッカとは、単なる苦しみではなく、原義は自分の思い通りにならないことでありまして、自分がコントロールできないことでマイナスなことをすべて指します。自分がコントロールできないから苦しいもの、と言っていいでしょう。四苦という、生苦死苦病苦老苦が代表的な苦(ドゥッカ)です。生まれてくる苦しみ、死にいたる苦しみ、病の苦しみ、老いる苦しみといった意味ですが、全部自分の思い通りにしようとおもってもできないものですよね。だから、仏教における苦とは、自分の思い通りにならないことと、コントロールしようと思ってもできないことから来る苦しみのことなんです。

四諦と四法印

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name=”UIbVD”>仏教における苦について理解したところで、なぜこの苦(と苦からの解脱、つまり悟り)が中心教義なのか、考えてみましょう。四法印といって、これを満たせば仏教といえるという目印があります。その中に一切皆苦というものがあります。一切皆苦とは、この世に存在するすべてのものはせんじ詰めれば自分の思い通りには決してならない、という意味なのです。

古代インドで生まれた考え方、輪廻転生などはまさにその代表的なものですね。輪廻とは、前世、今世、来世と延々と自分の人生が生まれ変わり、死んだとしても終わりがないという考え方です。実は苦、ドゥッカの代表的なものはまさしく輪廻なのであります。

この世のものはすべてのものが自分の思い通りにならない、だから苦しいんだよ、というわけなんです。苦というと、後半部分の苦しいについて、どうしても着目しがちです。でも仏教では、自分の思い通りにならないことこそ、苦の言いたいことの中心にあるものです。釈尊(お釈迦様)が初期に説いた教えの中に、四諦八正道という教えがあります。この四諦はそれぞれ、苦諦、集諦、滅諦、道諦の仏教の悟りに関する4ステップを説いたものです。ステップ1である苦諦とは、まずこの世のあらゆるものが思い通りにならないことを知る、ということです。だからこの思い通りにならないという苦を知ることは、仏教の目標である悟りに至る最初のステップなんです。

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name=”r4ItS”>そしてステップ2、集諦です。集諦とは、苦の原因に関する聖なる真理といった意味で、苦の原因は渇愛にあるということです。渇愛とは、執着とも呼ばれる概念であり、執着とはある対象について考えたとき、その対象を考えすぎて頭から離れない状態になることだ、と考えておきましょう。リンゴがどうしてもほしい、という執着があるとすれば、自分の前にリンゴがなければ、たとえナシが出てきてもそんなんじゃだめだ、「リンゴじゃないと!」私は満足できない。といった風な具合に考えてしまうんです。そういう執着というこだわりすぎて苦しみを生んでいるよ、ということについて知れということです。

ステップ3は滅諦。これは永遠の平安の境地があるよ、それが悟りだよという真理です。悟ったらすべての苦から抜け出せる、というのも仏教の教えです。

ステップ4は道諦。道諦とは、悟ったとしても、一瞬だと全く意味がないから、悟りを永続させるために何をすればいいかの道を示したものです。簡単にいうと、悟りを永続させるための道です。この状態になって、苦は完全に脱することができる、と言います。

この四諦で特に重要なのが、やはり苦に関する自覚なんですね。苦があってはじめて悟りもあるからです。では時間がなくなってきたのでまとめましょう。

苦に関するまとめ

仏教の苦とは、自分の思い通りにならないことと、そのことから来る苦しみです。苦とは、仏教の根本教義です。すべてが苦であることを自覚することで、苦から脱することができるというのが初期仏教の中心教義なのです。

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name=”1UQfL”>いやはや、苦について語ってきましたが、これって結局は思い通りにならないことにばかり目を向けていると、苦しみの感情が生まれてしまう。逆にいえば、思い通りにならないことと自分にコントロールできることを峻別して自分にコントロールできることだけ目を向けるようにすると、苦しみがなくなるといったことなのだと思います。

以上、ここまでにしたいと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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Comment

  1. 仏教の事詳しくわかっていなくても「あっなるほどな」と感じる事が多々あり、高橋さんの仏教ネタ、個人的にファンです。
    —–COMMENT:
    あらふかさん
    ありがとうございます!そう言ってもらえると嬉しいです。仏教を詳しくない人にも仏教の一見とっつきにくい概念や教えをわかっていただくことを目標にしております。もっともっとわかりやすく書いていきたいと思います!
    —–COMMENT:
    これを40分で書き上げてらっしゃるのは、本当にすごいです!
    コントロールできること、できないこと。これは子育てにも通じるなと感じました。
    どこかで子供をコントロールしようと考えているから不必要に怒ってしまうんですね。
    気付きをありがとうございます!
    —–COMMENT:
    みかさん
    ありがとうございます。仏教とか哲学とかのよくする話は覚えてしまっているので、40分で書けちゃうんです。好きこそものの上手なれです笑
    子育て、教育にも仰る通り言えることだと思います。まさにコントロールできない子どもの感情や考えに苛立ったり怒ったりするのは苦だと思います。アドラーが課題の分離と言っているのもいいたいことは同じことですね。子どもがどう考えて、どう行動するかは子どもの課題。対して、みかさんがわいた怒りの感情にどう対処するかはみかさんの課題なのです。
    そういう繊細なところに気づいていただきありがとうございます!

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