人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

小林康夫「過去を問う知」

 
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『未来のなかの中世』所収
 「われわれは零から、無から出発することはできません」と筆者は文を始める。「文化」―「われわれにさきだってなされた無数の物事」―とは、「過去の出来事、思考、行為の結果」なのである。人間にかかわるもので歴史的でないものはひとつもない。また筆者は「文化」「歴史」を「人間が時間のなかにあるあり方」と定義している。文科系の学問では、反復不可能で一回きりの、個別で特異な出来事・存在者を問題にする。「というのも、それこそが、人間にとっての『意味』の源泉だから」である。文科系の学問は、「人間にとっての時間の『意味』を問い、また時間を『意味』として問う」。
 「われわれ人間が世界のなかにいるとき、われわれは同時に、つねに、過去の中にいる」―この二重性が「人間存在の固有の本質」である。「人間の根源的な歴史的なあり方から出発してこそ、知というようなものが可能なのだということを知ることが重要」だと筆者は述べている。
 われわれは、歴史(過去)を共有することで、はじめて共同性を持つに至る。「歴史―この過去の空間の組織―こそが、共同的な主体を創造する」。
「知は、
 (1)つねに、あらたに過去を書き換えようとします。過去を掘り起こし、再発見し、再現し、再解釈しながら、ということは、ほとんど過去を再創造しながら、あらたに過去を書き換えるのです。
 (2)しかし、その書き換えは、けっしてこれこれの特定の共同体のためではない。知の本質は、すでに現実化されている過去の共同体を超えた普遍的な共同性の地平を開くことにあります。あるいは『人間の共同性に普遍性の地平を開く』と言ってもいいかもしれません。」
 演繹的に記述することが不可能だということが、歴史の本質である。
 歴史を問うことで、ある時代の<いま>とわれわれはともにあることができ、「われわれはひとつの共同体の地平を開くことができる」。そして、「地平といものは、言うまでもなく、来るべきもの、未来へと差し出されているわけなの」である。

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Comment

  1. 退会したユーザー より:

    おもしろい!
    この一言以外に何も言えない・・・

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