社会学のジレンマ�1 構造と行為
《人間の行為を社会構造とどう関係づけてとらえるべきか》?
われわれは社会(構造)を作ったのか、それとも我々は社会(構造)に作られたものなのか。われわれは社会を創造し、構築しているのだという考え方が一般的なのかも知れない。だが、よく考えてみると、デュルケムが『社会学的方法の規準』において挙げているように、言語体系、貨幣制度、信用手段、職業生活上の慣行などによって縛られている。つまり、社会的影響力が、個々人の決定を拘束しているのである。
しかし、次のような反論も考えられるだろう。例えば貨幣制度は確かに今生きているわれわれが直接つくったものではない。だが、かりにすべての人が、あるいは過半数の人が貨幣制度を使うのをやめてしまえば、それは崩壊するであろう。その点で、われわれは貨幣制度そのものの存続に少なからず寄与しているといえる。このことから、われわれは社会構造の創造に少なからず影響を持つのである。
このことについて、単純な二元論的思考で考えても解決はつかないだろう。社会とは構築物であり、われわれがそれに手をつけるとなんらかの形で変化している可能性がある。構築物とはいっても、それは弾力性に富んだものであり、われわれの目に見えないものである。人間がどんなに手を加えても不可知な部分もあると考えられるが、だからといって社会について研究するのが無意味ではなく、有意義なものである。社会は、われわれの行為により形作られる反面、われわれの行為を形成する。その意味で、われわれは社会的拘束力から完全に自由な存在ではない。その意味で社会は個人を優先する。もう一方で、その制約の中でも、われわれは創造的力を有する。革命的な力までいかなくても、そういった創造的な力によって社会を形成できる。
デギンズ『社会学』第三版を参照
Comment
久々だな
わヴぇ生きてたんだな
>あすらだ
久々ですな。
あすらだこそ、地震以来インしてなかったっぽかったから、何かあったのかと思ってたよ。
スカイプオフラインにしてるほうが短いぜ
>あすらだ
そうだったんだ。何はともあれ無事でよかった^^