ヤハウェを信じる一神教・古代ユダヤ教|高校倫理

どうもこんばんは、高橋聡です。今日も中途半端に雨が降ったりやんだりして、気が滅入る一日でした。はやい梅雨入りですが、こうも早いと段取りがくるいますね。体調も狂いそうです。
ところでぼくはいつも会社に出勤の日はいきつけの定食屋さんにいっています。カツ丼セット、つまりカツ丼とうどんかそばが一杯ついて450円と格安の値段で提供してくれるのですごく助かります。おまけにかなりおいしいので、うれしいです。
今日はキリスト教の母体となった古代ユダヤ教について考えます。その前に前回の記事、ヘレニズムの思想についてみていきましょう。
前回の記事|ヘレニズムの思想
ヘレニズム期のギリシアで発達した個人主義的思想は二つあります。ストア派とエピクロス派でしたね。以下にリンクを貼っておくので、確認しておきましょう。
まだ読んでいない方、ヘレニズム思想について理解していない方は是非読んでみてください。
古代ユダヤ教
モーセとユダヤ教の成立
紀元前2000年頃、アラビアの砂漠に住んでいた人々は、カナンと呼ばれる地中海東岸に移住し始めました。カナンの北方に入ったのがフェニキア人で、カナンの南方に入ったのがイスラエル人でした。その後、イスラエル人の一部はエジプトに移住しました。しかしエジプトでイスラエル人は迫害を受けました。そして紀元前13世紀頃、イスラエル人たちは預言者モーセに率いられ、エジプトを脱出します。これが有名な出エジプトです。しかし長らく異教徒の地にいたイスラエル人たちは、困難な逃亡の中、信仰をうしないがちになりました。神ヤハウェはモーセをシナイ山に召して、イスラエル人たちの救済の約束とともに、十戒を授けました。これが神とイスラエル人との間に交わされた契約であり、この契約は律法とも呼ばれます。
イスラエル王国
モーセの死後、モーセの後継者であるヨシュアに導かれて約束の地カナンに帰ってきたイスラエル人たちは、士師(しし)と呼ばれる指導者たちに統率された宗教連合体に統合されました。紀元前11世紀末、サウルがイスラエル王国を建国しました。その後イスラエル王国はダビデ、ソロモンの両国の後に南北に分裂しました。
バビロン補囚
北のイスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされました。ユダ王国は滅亡ととともに、指導者と住民の多くがバビロンに奴隷として連行されました。これがバビロン補囚と呼ばれるユダヤ人の長い苦難のはじまりです。そんな中、人々を励ます預言者たちが現れました。
預言者
預言とは本来、神の言葉や意志を伝えることを意味します。したがって社会が混乱したり、民族が困難におちいったときに律法契約の遵守と信仰の堅持を訴え、宗教的な結束を促す役割を果たす存在が預言者でした。
預言者イザヤはダビデの一族から救世主があらわれることを預言しました。預言者エレミアはいつわりの宗教者を非難し、ユダ王国の滅亡を預言しています。預言者エゼキエルはバビロン捕囚のさなか、ユダヤ人たちをはげまして、イェルサレムの再建を預言しました。彼ら預言者たちの言行は、『旧約聖書』の中に記されています。
メシアと呼ばれた救世主
イザヤの預言以来、救世主(メシア)はイスラエルの民の希望となりました。苦難のたびに預言者が救世主の到来を預言しました。メシアとは油注がれた者という意味で、ダビデやソロモンのように地上に繁栄をもたらしてくれる強力な指導者がユダヤ人の待望したメシアでした。
のちにイエスがでた際に、メシアと名乗ったイエスを弾圧したのはほかならぬユダヤ人たちでした。
パリサイ派、サドカイ派
ユダヤ教の指導者層には二種類の人たちがいました。パリサイ派とサドカイ派の人々です。保守的なサドカイ派は、いわゆるモーセ五書のみを聖書として扱い、権力のそばにたってローマとともにイエスの活動を妨害しました。パリサイ派は律法主義者として知られ、律法を現実に適用しようとする人々をさし、細かな規則を厳格に守ることを求めました。
以上、今回はヤハウェを信じる一神教・古代ユダヤ教というテーマで記事をお届けしました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
高橋聡記す