人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

イスラームの成立と教え|高校倫理

2021/06/07
 
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どうもこんばんは、高橋聡です。今日は梅雨入りして一番大きな雨と風がやってまいりました。朝から夕方にかけて結構強い風雨が大阪にはやってきました。これぞ梅雨、という感じでしたが、じめじめはしていましたけど、めちゃくちゃ暑くはなかったです。

さて今回は高校倫理の分野であるイスラームの成立とイスラームの教えについてみていきたいと思います。自分の知らない宗教の概要を知るのはとても大事なことですので、あまりイスラームについて知らない方も是非読んでみてください。その前に前回のキリスト教の発展の記事についてみていきましょう。

前回の記事|キリスト教の発展

イエスの死後、使徒パウロ、教父アウグスティヌス、スコラ学者トマス=アクィナスがどのようにキリスト教の思想を位置づけ、発展させてきたかについて論じています。次にリンクを貼っておきます。

まだ読んでいない方、キリスト教についてあまり知らない方は是非読んでみてください。

ムハンマドの一神教イスラーム

イスラームはイスラムやイスラム教とも呼ばれる世界三大宗教の一つです。イスラームという言葉自体に教えという意味があるので、今回の記事ではイスラームの宗教や教えを総括してイスラームと呼びます。イスラームと聞くと、熱心な宗教者、断食の宗教、原理主義者、テロリストなど様々なものを思い浮かべると思いますが、どれも一面的なイスラーム理解でしかありません。ムハンマドが説いたイスラームの成立と教えの内容について今回は少し見ていきましょう。

イスラームの成立

預言者ムハンマドとイスラーム

イスラームは7世紀初めにアラビア半島でムハンマドによって創始された宗教です。イスラームは宇宙の万物の創造主でありユダヤ教やキリスト教と同じ唯一神、アラビア語でアッラーと呼ぶ絶対神を信仰の対象とします。イスラームとは神への絶対的な帰依という意味で、イスラームを実践する者はムスリム(神に服従する者)と呼ばれます。

ムハンマドは6世紀後半にメッカのクライシュ族の一員として生まれました。はじめは商人として砂漠のキャラバンを率いて各地を旅しました。40歳になったころ、ヒラー山の洞窟で瞑想していた際に、アッラーの声を聴く体験をし、自身が預言者である自覚を持ちました。アッラーはアラビア語で神という意味の普通名詞です。

ムハンマドによると、アッラーはユダヤ教やキリスト教の唯一神と同一です。そして神はモーセやイエスなど預言者に言葉を伝えましたが、ムハンマド自身が最後に預言を授かった者であると説きました。

ヒジュラとメッカへの凱旋

しかしアラビアの民は、その段階では多神教を信奉していました。だから一神教を唱えるムハンマドは迫害を受けました。ムハンマドは622年にメッカからメディナに逃れました。この出来事をヒジュラ(聖遷)と呼びます。それゆえに、622年はイスラーム暦の元年とされます。

やがて勢力を拡大したムハンマドはメッカを征服しました。唯一神であるアッラーへの信仰を貫くために、ムハンマドはカーバ神殿の中に祀られていた神々の像を破壊しました。そしてメッカをイスラームの聖地と定めました。

ムハンマドの死後

ムハンマドの死後、イスラームはカリフという指導者のもとに帝国の版図を広げました。同時にイスラームの教えを各地に広げました。やがてムハンマドの後継者アリーをカリフとして重んじる少数派のシーア派とカリフこそ正統な後継者であると考えた多数派のスンニ派に分かれました。そうした分裂がありつつも、ムスリムは増え続けて、イスラームは仏教とキリスト教と並ぶ世界三大宗教の一つとして発展しました。

この節の大事なこと

イスラームはムハンマドによって創始されました。ムハンマドは40歳のころ、神アッラーからの声を聴き、自身が預言者である自覚を持ちました。そうして自分の教えを広めようとした当初はメッカではうまくいかずに、メディナに逃れました。この出来事をヒジュラといい、622年に起きました。その後ムハンマドは自身の教団の勢いを拡大させて、メッカに凱旋しました。そこで神々の像を破壊して、メッカを聖地と定めました。こうしてアッラーを唯一神とするイスラームがアラビア半島に広がるきっかけができました。

ムハンマドの死後、アリーを後継者とするシーア派とウマイヤ家のカリフを後継者だと考えるスンニ派に分かれました。

イスラームの教えの内容

コーラン

イスラームではムハンマドに神が語った言葉を書き記した聖典『コーラン(クルアーン)』を最重視します。神アッラーが最後の審判を行い、神の教えに従順な者は楽園にいって、不従順な者は地獄に落ちると『コーラン』では説かれています。このような終末観はイスラーム独自のものではなく、ユダヤ教やキリスト教などと共通するものであるといえます。

キリスト教との相違

イスラームではユダヤ教やキリスト教の聖典である聖書やそれに準ずるものも学ぶべきものだとされます。ところが聖書の記録が『コーラン』と記述が食い違う部分は『コーラン』を優先します。モーセやイエスはあくまでも預言者であり、特別な地位を認めません。キリスト教ではイエスは神の子であり救世主であると説きますが、イスラームではそのような立場を認めません。

『コーラン』の六信五行

『コーラン』は信仰についてのみ語られているわけではありません。結婚や商売、相続や刑罰に関する規則、社会生活の規則と呼ぶべきものが定められています。その中心となるのが六信五行です。

六信とは、ムスリムが信じるべき六つの対象のことです。神アッラー、天使、『コーラン』、預言者ムハンマド、来世、天命の六つを信じることが六信です。五行とはムスリムが守り行うべき実践行です。信仰告白、メッカへの5回の礼拝、日中の断食、喜捨、メッカへの巡礼の五つで五行となります。

神の前でムスリムは平等

『コーラン』では神の前では信者は平等だということが明記されていました。ムスリムは信仰の共同体であるウンマを形成して、民族や国籍をこえた信者の平等性がイスラームの特徴です。

生活全体を貫くイスラーム法・シャリーア

イスラーム社会では、『コーラン』以外にも結婚や相続、刑罰などの社会規範を定めたシャリーアと呼ばれるイスラーム法が生活の基準となっています。異教徒との戦いをジハードと呼びますが、そのほかにも神のために努力することをジハードと呼ぶこともあります。

またイスラーム社会では一夫多妻制ですが、これはもともと戦死した男性の妻や子どもを救済するための制度だった側面があります。ブタはけがれた動物のため食べるのは禁止されており、また理性を失わせるとされる酒も禁止されています。

このようなイスラーム社会では聖と俗は区別されず、一体となっており、イスラームの教え自体が政治や経済、文化活動、さらには日常生活に至るまであらゆる生活を貫いて存在しているのです。

この節の大事なこと

イスラームの教義の中心に来るのが『コーラン』です。イスラームではイエスを神の子やメシアとして認めません。モーセからイエス、ムハンマドまですべて預言者として扱われます。六信五行という実践をムスリムは大事にします。神の前ですべての信者は平等であり、また生活全体をイスラームの教えが貫いています。

イスラームについてまとめ

2001年9月11日のアメリカ連続テロ事件以降、イスラームといえば暴力が伴う言説やイメージの流布が増えてきました。しかしイスラームは人々の間に広まるに値する合理的な宗教なので、広まるべく広まったというべきでしょう。一面的なイメージでイスラームを評価するのではなく、まずはその根本となる教えなどはどうかをしっかり考えたうえで他文化の評価を行うべきです。

以上、今回はイスラームについてみてきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

高橋聡記す

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