どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。今日はブッダの『真理のことば』(ダンマパダ・法句経)のことばをみて死の自覚こそ争いをなくすことについて学びましょう。
死の自覚は何をもたらすか
六 「わたしたちは、いずれ死ぬはずだ」と自覚しよう
−−この道理を知らない人々は意外と多いものだ
この道理を知れば、自然と争いはやむというのに
なぜこう言えるか、考えていきましょうね。
自分の死を真剣に自覚するということは、自分が生まれて死ぬまでの間、今を必死に生きようとすることにつながります。ところが自分の死の自覚とは、死ぬんだから何をしてもいいや、っていう安易な考えに流れると思われがちです。でもこの何をしてもいいという考え方は、真剣に生を見つめていません。だって自分にとって生死は常に一回限りしかないものです。人生は一回限りのもの。だとすると、一回限りの人生を適当に生きるよりも、真剣に価値ある生き方をしようとしたほうが楽しいと考えませんか?少なくとも私はそう考えています。
自覚には真剣さが必要
このブッダの言う自覚とは、この生を必死で生きようとする態度を持った真剣な死の自覚のことです。この真剣な死の自覚をした人があまりにも少ないんだ、ブッダはそう言います。
そしてこの真剣な死の自覚をすれば、争いはやむといいます。どういうことでしょう。
これは簡単です。真剣に自分の死を自覚した人は、今を精一杯生きようとします。同時に、この人は他人にもまた一回限りしかない人生の価値、大切さがあると考えます。だから他人の生命を奪おうとは絶対に思いません。真剣に今を生きる人は、できるだけ平和な方法でことを解決しようと頭を働かせるのです。他人の生命を奪おうとしないばかりか、真剣に今を生きる人は、他人の行動に干渉しようとは絶対思いません。他人の行動が自分の害となる場合、自分に原因があると考え、自分の考え方や行動を見直し、次に活かそうとします。この話は前回の話につながりますね。
だからこそ、真剣に今を生きる人ばかりだと、争いは止みます。
争いをなくすことも不可能ではない
(写真の御朱印は大阪上本町の長安寺でかいてもらったもの)
ブッダのこの境地は不可能なことではありません。むしろ一人一人が自覚し、気づけば(=悟れば)、可能です。悟りとは元来、このような意味あることを自覚することなんです。ぼくも他人と争わない境地までなかなかこれてはいませんが、できるだけ平和裡に解決できるように心がけるようにはしています。あなたはどうでしょうか?今回学べた内容を簡単に表すと次の通りです。
○自分の死について悟ることができれば、他人と争うことはせず、何事も平和に解決できる


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