よく生きることを考えたソクラテスの衝撃|高校倫理
どうもこんばんは、たかはしさとしです。本日はオフィス出勤だったのですが、朝から雨が降っていたため、テンションはあまりあがりませんでした。雨は降らないより降った方がいいこともわかるのですが、せっかくの春なのにもったいないなという気持ちがどうしてもでてしまいますね。とはいえ、あまり落ち込んでいても仕方ないので雨の日も元気でいきます。
ところで今回の記事では哲学の方向転換のきっかけとなった大哲学者ソクラテスを取り上げます。その前に前回の記事から見ていきましょう。
前回の記事|神話から哲学へ・古代ギリシアの哲学の誕生
前回は神話から哲学へと超越的な物の説明スタイルが変化していき、自然哲学が生まれ、自然哲学者についての説明も少ししました。以下にリンクを貼っておきますので、興味のあるかたは是非読んでみてください。
では次にソクラテスについてみていきましょう。
ソクラテスという衝撃
ギリシア哲学といえばソクラテスを思い浮かべる人が多く、世界四大聖賢に挙げられることもあるソクラテスですが、当時のギリシア人からは変人としてみられていました。とはいえ知への愛というのが哲学の原義ですがこの知がそれまでの哲学では客観的真理だと考えられていたわけですが、ソクラテス以後は主観的な真理、つまりわたしにとっての真理が知の内容となったのです。ソクラテスはアンチソフィストから経歴をスタートしました。ソフィストとは何かをまずは見ていきましょう。
ソクラテス活躍以前の状況
自然から社会、人間へ
ペルシア戦争の勝利によって、ギリシア、とくにアテナイの市民社会は大きく変化することになりました。勝利の原因となったサラミス海戦の三段櫂船の漕ぎ手であった無産階級の市民は、その勝利の功績をもたらしたことを理由に政治への参加を要求しました。
こうしてアテナイの民主制は完成しました。このことにより、人々の関心は自然の探究よりも社会や政治、人間そのものへと移っていきました。
ソフィストたちの登場
そのような状況のアテナイで、政治的な教養、技術の教授を職業とする人たちが現れました。それがソフィスト、知者と呼ばれる人たちです。彼らは論争相手を言い負かす弁論術(修辞学)を青年たちに教えていました。
プロタゴラス
プロタゴラスはもっとも有名なソフィストです。当時の軍船一隻が買えるくらいの授業料を稼いでいたらしいです。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」といって、絶対的な真理などなく、それぞれの人が真実だと思うことが、その人にとって真実なんだ、と意味合いのことを述べるのです。プロタゴラスは相対主義者で、悪しき相対主義の好例を示してくれてます。
ノモスとピュシス
あるソフィストたちは、自然(ピュシス)の世界は必然性をもつが、人間の社会は約束事(人為、ノモス)でしかないため、必然性はもたないと考えました。そう考えることで、結局彼らは人間社会には必然性はなく絶対的な真理もないから、何を言ってもいいということを正当化しようとしたのでした。
ソクラテスあらわる
弁論術を教えるソフィストたちばかりがもてはやされ、古代アテナイの青年たちはいたずらな論争と詭弁をあやつることが良いことだと考える人が多くなってきました。
そこに現れたのがソクラテスというわけです。彼ソクラテスはソフィスト思想に特有の相対主義的な思考の持つ矛盾点を批判して、人間がどう生きればよいかという人間の生き方や生きる態度についての普遍的な原理を求めようとした人物なのです。
ソクラテスの助産術
ソクラテスの真理探究の方法は問答法と呼ばれる方法です。問答法は問い手と答え手双方が納得できる前提から出発して、相互に問答の内容を確認しながら進められる議論の方法のことです。
ソクラテスは問答法によって二つの事柄をなしとげます。一つは答えての論理的な矛盾をついて相手の無知を自覚させるもものです。もう一つは答え手を励まして答え手自らが真理を発見していくように導く方法です。後者は答え手の手伝いをして答え手に真理を導くので、ソクラテスの助産術とも呼ばれます。
無知の知
ソクラテスによると真の知者は神のみである、といいます。大切なことを知っていると思っている人は多いけれども、実際知っている人はあまりにも少ない。いや、そんな大切なことを知っている人はいない、とソクラテスは主張しました。そしてただ人間は、自分は大切なことについて何も知らないのだ、と自覚することはできるのだ、それゆえに真の知にあこがれ愛し求めるのである、とソクラテスは言いました。こうして無知の知は、哲学への出発点として再定義されることとなります。
愛知としての哲学
知に対するあこがれを哲学、知を愛することと呼びました。ソクラテスのいう哲学とは、人間にとって大切なこと、つまり良く生きることについての知の探究を指します。そして哲学とは無知や思いこみ、臆見に対する戦いであります。こうして人間がどう生きるべきか、という人間の生き方の原理を求める哲学へと哲学は生まれ変わったのです。
汝自身を知れ
自らの無知を知ること、これが哲学の出発点であることを述べました。つまり無知の知とは無知は人間にとってもっとも大切なものについての知が欠如している状態を指します。そうした無知を自覚することこそ、自分自身を知ることにつながります。「汝自身を知れ」という言葉をソクラテスは無知を徹底的に自覚することから始めよ、という意味で使いました。
よく生きること
ソクラテスは徳に従って生きることが大事だと考えました。徳とは人間としての卓越性のことでして、勇気や正義、節制などのものです。そうしてソクラテスは「ただ生きることではなく、よく生きること」を大切にしないといけない、と言っています。
人間の正しい心の在り方として徳があるわけですが、この心のことをギリシアでは魂(プシュケー)と呼びました。徳に従った生き方は、魂の在り方をよいものとします。このように、生き方とは魂の在り方と密接に関係しているのです。そうした意味でソクラテスは魂への配慮こそ大事なものだと考えました。
よく生きることは、自己つまり魂を吟味しながら生きることです。魂としての自己を大事にする必要があることをソクラテスは説いています。
そしてよく生きることは徳に従って生きることだ、と言います。徳にはそれぞれの徳に関する知であり、知を欠いた徳はあり得ない、とソクラテスは強く言いました。そうしたことから徳は知であって、知は徳であるという知徳合一をソクラテスは主張したのです。
知行合一という言葉もあります。知ると行うこともまたつながっており、犯罪を行うのはそれを不正だと知らないからだ、ということを説きました。ですから知と行動は全く同じものなのです。
ソクラテスの最後
ソクラテスは70歳のときに法廷に立ちました。告発理由は「国家の神を信じず、青年を堕落させた罪」でした。ソクラテスは悪法もまた法であるといって、牢獄から抜け出せたにも関わらず、死を選びました。これがソクラテスの最後です。